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証のページ

イエス様と一緒に生きるってこんなに素晴らしい!
そんな証をお伝えするページです。

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藤田ハル子姉 下記
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故、大西ハルエ姉(99才土居教会員)百万人の福音より←クリック


         「人生の嵐の中も」
藤田ハル子姉(愛媛県四国中央市土居町 土居教会員)

 私は二十一歳の時に結婚し、戦時中を大阪で過ごしました。ある年の暮れに、重い妊娠腎を患い、死産をしたので、大事をとって故郷の愛媛に帰り、そこで身ごもって娘を出産しました。その子は小さく、たいそう心配しましたが無事に成長していきました。

 ところが、娘が三歳になった時、私が結核を患ってしまうのです。当時は十年以内に九十%が死に至ると言われた病でした。不安な中、同室の方が、少し前に病院で亡くなったクリスチャンの少女の話をして下さいました。

 その少女は、戦争で両親を亡くした寂しさも乗り越え、腸に穴が開く激痛の中でも信仰を失わず、「おなかさん、おなかさん、我慢してね」と、お腹をさすって痛みに耐え、最後は医師や看護士さんにお礼を言って、平安のうちに息を引き取ったということでした。

 そのお話をして下さった方が、「元気になったら、あなたもキリスト教を信仰なさいね」と言われたことが神さまに心を開く、第一歩になりました。

 自宅療養が許されたのもつかの間、今度は背骨が痛くなりました。結核菌によって背骨が曲がるカリエスを発症していたのです。失意の中での再入院でしたが、その時にも、看護士さんたちが開いていた聖書研究会に加わっていた患者さんが、退院される時に信仰書をくださり、「信仰を持つように」と勧めて下さったのでした。
 
 ただ、土居に教会があるなど、聞いたこともありません。心ひかれながらも求道をあきらめつつ、三年間、自宅でギブスベッドでの養寮生活を送っていました。しかし、神さまはお見捨てにならなかったのです。
 病院からの帰り道、塀に貼られていた言葉が目にとまりました。

 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ三16)。それが、すぐに聖書の言葉であるとわかったのは、姉の遺品の聖書を思い出したからです。私が幼い頃結核で亡くなった姉の聖書を、焼かないでと頼み、残してもらっていた、そこに書かれていたのを覚えていたのです。

 私は、早速その案内にあった教会に、娘を連れて通い始めました。
牧師と会堂を与えられ その後、教会はなくなってしまうのですが、何年か後、新居浜教会の牧師先生が、土居で家庭集会を開いてくださるようになつて、その時には、渇いていた心に恵みの雨が降り注ぐように思え、いつも涙を流しながら、説教に聴き入っていたのを思い出します。

 その集会で素晴らしい信仰の友も与えられました。ちょうどその頃、孫に重い心臓病が見つかり、手術が困難を極めると知って、毎晩、深夜までひれ伏し祈りましたが、神さまは、教会の祈りを用いられ、孫の手術が奇跡的に成功をしただけではなく、娘を信仰に導いてくださいました。
土居教会玄関にて
左:娘さん、真ん中:藤田ハル子姉、右:ご主人

 この経験を通し、その後も、「牧師と教会を土居の地に与えてください」との祈りでは、御言葉の約束(イザヤ三〇19)と共に聞かれ、牧師先生方が遣わされ続けただけでなく、会堂をも与えられました。

 人生の嵐は今なお押し寄せて来ますが、私の生涯で、今ほどすばらしい時はありません。心に響いて来る聖歌の「我、何をなして主に報いし」という一節に、自分の平安だけに甘んじているのではなく、この老いたる身で、何かできることはないかと祈る毎日です。