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教会での、いろんな出来事をお伝えして参ります。


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最初に、教会の歴史を簡単に御紹介致します。

・1968年  新居浜教会(当時:高橋秀夫牧師)を母教会として、
         土居伝道所が開設され伝道が始められた。
・1981年  新居浜教会の高橋秀夫牧師が、那覇教会へ転任され、
         松本三郎牧師が赴任して来られ、土居教会の責任牧師となる。
・1981年   加藤望牧師(当時:聖書学院インターン生)が1年間、
         土居教会へ遣わされる。
・1982年  牧師不在の時代を過ごす。
・1983年  荒井道夫・なを子牧師夫妻赴任
・1989年  新会堂献堂式
・1993年  粂川信夫・裕子牧師夫妻赴任
・1998年  濱和弘・その枝牧師夫妻赴任
・2000年  千葉和幸・聖子牧師夫妻赴任…現在に至る
・2004年  1月、10月補修工事
・2009年  井原博子牧師赴任


2005年へ
2004年へ

2003年へ
2002年へ

2008年
豊岡イエス・キリスト教会との合同クリスマス礼拝
12月21日
井原牧師





井原牧師と御主人


楽しく、心からクリスマスを賛美した祝会でした。

2006年

洗礼式
D姉が受洗の恵みに預かりました。
  

子供クリスマス会
み○る君のマジックショー

恒例のケーキづくり大会

  

献児式


幼児祝福式
 

陶芸教室
ご近所の長谷○さんの御指導ので陶芸造りにチャレンジ

中高生キャンプ
閉会礼拝で…。新居浜の★福西のネーム入りシャツを着て、みんなに応援メッセージを…。
キャンプのゲスト、鎭目一家と、佐伯一家と

中高生リーダー研修会で韓国へ!

成○が、北条教会の愛○姉と一緒に、中高生リーダー研修会で韓国へ行ってきました。賛美を通して、初めての友達とも直ぐうち解け、クリスチャンの友達を、日本と韓国に沢山つくって帰ってきました。
日本が残した韓国への爪痕と、日本を赦し、日本の為に祈って下さっている韓国を見てきたのは、大きな〜経験だったと思います。
2006年8月

とも師の来会

母、とも先生が、今年は2回、土居教会に来て下さいました。
大西姉と

T兄の受洗

 
60年の奥様の祈りが積まれて来たT兄が、2006年の4月にイエス様を救い主と信じて、5月7日に受洗の恵みに預かられました。

今、ご病気を患っておられるので、礼拝出席が心配されましたが、教会あげての祈りが聴かれました。
洗礼式の後、教会の方々に握手してまわられる姿に驚かされ、また胸が熱くされました。
長い間、奥様のH姉と信仰の友である教会の方々も、涙ながらに喜んでくださり、共に主の御名を崇めました。

その後、共に聖餐に預かりました。
ハレルヤ!

    2006.5/7

2005年

  
洗礼式
証のページクリック
次女のN姉クリスマスに洗礼を受けました。
 
牧師の娘として生まれたN姉は、幼い頃から福音に触れて育ちました。

 献身者家庭の大変さを受けながらも、教会のお兄ちゃんやお姉ちゃん…沢山の人々の愛の中育まれました。
みなさん…お世話になりました。本当にありがとう!

 奉仕や掃除は物心ついた頃から手伝ってくれていたN姉でした。

親として洗礼を強要して来なかったのですが、
小学校の卒業文集に、小3年生の頃から受洗を考えていたと証を書いていました。
 きっかけは昨年の、
Youth Jam2004での、素敵な先生との出会い…。
自分の
目標の人 Get!! って感じかな?

イエス様
を救い主と信じたのは、今年の四国教区のバイブル・キャンプでした。
その先生が、東京から講師として来て下さって導いて下さいました。
(^o^)ヾ(^-^ )


 
これから、嬉しい事も、苦しい事、悲しい事が一杯あると思うけど、イエス様の御言葉を信じて、一緒にいるイエス様の事、沢山〜経験して欲しい。
と祈る親心でした。

 2005年12月18日


 
子供クリスマス会
 
子供クリスマス礼拝

 
今年はなかなか準備の時間がとれず、てんやわんや、ドタバタのクリスマス会でしたが、即興スキットをした、大人達は結構楽しみました。
  

のブタにプロデュースじゃ、あ〜りませんが…。

M君のマジックショー

クレープつくり

  

たこやきつくり 

たこやきもどき?(クレープ生地の中にバナナが
ひんしゅくバージョンでしたが…結構食べられました。
でも1個で胃がもたれたという話も…。
は呼ばずにすみました。m(_ _)m
近い内、子供達による降誕劇をしたいものです。
2005年12月18日

 

世の光ラレー
12月9日、放送伝道「世の光」と東予地区クリスマスコンサ−トが新居浜教会の新会堂で行われました。
講師は放送伝道の榊原寛先生で、ボーカルゲストは、土居教会に来られているゴスペル歌手の
yukoさん(←クリック)さんでした。
 
2005年12月12日

幼児祝福式



  
2005年11月13日

故人記念礼拝

教会の大切な歴史。信仰の先人達の歩みを思い起こし
自分達の信仰の歩みを顧みる一時です。
     2005年11月6日
  
   
野外祈祷会

 10月に入りやっと秋の気配が出てきたので、半分お仕事、半分ハイキングで、我が四国中央市(このたいそうな名前にはどうしても慣れません!)の山の裏にある旧別子銅山跡に行きました。 
  
この(現在は新居浜市)は、数人の平家の落ち武者が開拓した所で、江戸時代に、銅山が発見されて栄え出した所だそうです。

 昔は松山市に次いで人口の多かった、この村の今の人口は、二百数十人…。
時の移ろいを痛切に感じます。

 ここで育ったお年寄り達に、
歴史記念館をお見せしようと、険しい山越えをして行ったかいがあり、

皆さん、昔を思い出して
「若返った〜」と言って下さいました???

富郷ダム   
2005年10月6日

壮年会主催のハイキング

9月23日の祝日、壮年会主催のハイキングで、松山の砥部動物園と砥部焼きを見に行きました。
  
                 
 砥部焼き

 秋晴れを期待していたのですが、その日は真夏日よりで、体力勝負のハイキングとなり、全体写真を撮る事さえ忘れていました・・・。

 
人間と同じ視線で人間観察・・・。

我が家のMダックスの”もも”と同じ姿で寝るトラ君 

キリンの夫婦喧嘩 
                                     バカじゃなかった”かば”

TVで有名な白熊ピース君
 
でも、動物を見ているとストレスが無くなるのを感じるのは私だけでしょうか・・・?

恵まれたキャンプ
2005年夏の四国教区のキャンプが新居浜マリンパークで行われました。今年は小学生以下のファミリーキャンプと、中学生以上の青年(上限なし)の合同キャンプでした。

今年のキャンプは、
オンヌリ教会の伝道チームも参加して下さり恵まれた集会となりました。

彼等は、
中国、台湾、韓国からの留学生主体のチームです。
モンゴル伝道か
ら帰ってきたばかりで、体調を崩しておられるのに、献身的に、イエス様とキャンプに仕えて下さる姿勢、そして全身で賛美を献げる姿勢には、多くの学ぶものがありました。

身体全体で献げる賛美に、日本のキャンパー達は、最初の内は戸惑っていたものの、やがて賛美の力に巻き込まれ…。賛美でのスキンシップでは、大人も思わずホロッとして…。
  
お話の、青年キャンプ:渡部 恵先生(東京聖書学院教会)、ファミリーキャンプ:杉野順子先生(菊間教会)のお話もとても恵まれて、最後の証し会は、感謝の涙〜でした。
メギー先生
そして、娘もイエス様を救い主として受け入れて救われました。

ハレルヤ!
伝道チームと四国教区のキャンパー
2005年8月15〜17日


嬉しい来会者
先日、HPで知り合った、ゴスペル・シンガーのyukoさんお友達が教会に来て下さいました。
左から:坂本和男兄・yukoさん・坂本華子姉
                       手前:大西ハルエ姉 
”Hallelujahさんのホームページ”で知り合ったyukoさん。
そして、yukoさんのお友達の
坂本華子姉が、そのホームページから土居教会のホームページを検索して大西ハルエ姉の証しと、93歳の日曜学校教師の映像をご覧下さり…大西ハルエ姉とお交わりに、はるばる神戸から訪ねて来て下さいました。

yukoさんと坂本さん御夫妻は、偶然?いえ、主イエスのお導きで同じ日に、土居教会で再会して良い交わりの時をもって下さいました。

 その後、日曜学校で、賛美をして下さいました。昔、華子さんとyukoさんが一緒につくられた賛美と言う事でした。


主にある良き出会いに感謝します。皆さんの上に、豊かな祝福がありますように…。
2005年7月

献堂17年記念礼拝

7月10日の献堂記念日に、旭方教会原田敏幸牧師をお招きして、伝道集会をおこないました。とても分かりやすく良いお話でした。

また原田牧師マジシャンのテクニックと話術はプロ並みなので、礼拝後に、ゴスペル。マジックショーをして下さいました。
驚きと見とれる一時を過ごしました。

   

野外祈祷会

 
5月花粉症も一段落し、年1回の恒例の祈祷会日よりとなりました。実は、昨年は、秋にも、計画していたのですが、毎週のような台風と地盤が緩んでいてどこもかしこも危険なので、1年ぶりに野外祈祷会となったのでした。

 今年は、身寄りのおられない、大西ハルエ姉,満94才のふる里を尋ねて、お弁当食べて賛美し、お祈りの時を持つ事にして出かけました。

 目的地は四国中央市、川之江町川滝…順当なら小一時間で着くはずでした。しかし94才の大西さんの記憶を辿りながら、何度も〜行ったり来たり。

まわりの車が車間距離をとって走行してして下さる、三菱ディオンで…。
ちなみにこの、デオンは安いし7人乗り、おめけに乗り心地は良いしお薦めの車なのですが。

 
さて話しは戻って大西さん…。彼女が覚えておられたのは昔の地名で、94才の方が覚えておいでの地名を知っておられる方が少ないのは、気づけば後の祭りでした。

 
郵便局警察も分からない…「困ってしまってワンワン」の世界でした。

みんなが諦め欠けていた頃
、昔からある酒屋さんなら知っているかも知れないという情報…。
 家内が飛び込みでお聞きした所、「旧、中内という地名はあそこら辺です。そこに,喜井としおさんという方ならおられます」との事…。とりあえず引き返すに不安を覚える狭い道を進んでいきました「あっここは最初に来た道と思いながら…。

その道の行き止まりが目的地でした…しかし、頼りの大西姉は、「ここは私の覚えている風景と違う」と言われたのですが、とりあえず聞き込み調査へ…・

 
出て来た、おじさん開口1番「大西ハルエという名はしってるよ」と、耳を疑う朗報を語ってくれたのでした。

覚えておられないのは畑が道路になったからだったのでしょう。

 田舎の人達は、よそ者が来るとじっと観察されているようで、
どんどん人が集まってきました
 
みなさんえっあ「ハルエさん?」とビックリ
      
大西さんの事はよく御存知
で、大西さんも、喜井としおさんに。「亡くなったお父様に良く似ておられますね」と…。

それから、昔住んでいた家があった。竹藪へ…そこに今はもう何もなく、その変わりはてた光景も分からなかったようでした。
皆さん、70〜80年ぶりな筈ですが、心から再会を喜んで下さったのでした。
ふる里って良いものですね

しかも、最初に家内が尋ねた家は大西さんの生家!
勿論、血筋の人の家ではなく、家も建て替えられていて大西姉には分からないのも当然、家の前の道路も、昔は田んぼだったとか…。

大西さんは、女工哀史の職を経た後、芸者の置屋へ売られ、逃げ出して大阪のレスキューミッションに救われて、クリスチャンになった方です。

その後、結婚をされて中国に渉られましたが御主人を亡くされてから帰国し、以後、日本中に知られるような立派な信仰者になられたのです。


そんな短い証しを昔なじみの方は「うんうん」と聴きいて下さり、お別れの時は涙〜でした。
賢く、優しい大西さんはご近所からも好かれ、子供達の面倒を見ておられたのでしょうね。このような再会の場を与えて下さった神様に感謝します。

その後、森と湖畔の公園で、池を泳ぐ、カラス蛇と、可愛いアヒルを見ながら、
賛美とお祈りをして、すっかり遅くなったお弁当を食べて帰りました。
  
PS:図々しくききこんで下さった家内にも感謝…
2005年5月11日


「災い」という漢字で象徴された2004年が終わり新しい年が始まりました。年末のスマトラ島沖地震の被害者は1/19現在で16万人を超えたとか…。言葉もありません。御遺族の上に主の慰めと、被害者の上に主の助けがあり1日も早く復興できるようにお祈り致します。
 この地震で少し地球が細長くなって地軸がずれて、1日が、ほんの少し短くなったとニュースで報じていました。今年も激動の年となるのでしょうか?

 
 昨年の暮れに、素晴らしいプレゼントを新居浜教会より頂きました。
新しい聖餐台
A(アルファ)でありΩ(オメガ)である神…永遠の初めから永遠の命彼方までおられる神を表す聖餐台です。

 
天板が栃の木、台座はケヤキでできた、手作りの素晴らしい聖餐台です。新居浜教会が新会堂になり、会堂の色に合わせて新しい聖餐台をつくられたので、今まで使っておられたのを、新居浜教会員の加藤兄が手直しして新品同様にして献品下さいました。土居教会の会堂の色にピッタリマッチしています。
 新年新しい聖餐台での聖餐で始まりました。土居教会員一同、心より感謝しています。
2005.1/12

2004年
  

真鍋忠雄兄の葬儀
年も押し迫った12月20日、真鍋忠雄兄が天国に召されました。精一杯病気と戦われての勝利の凱旋でした。
22日



子供クリスマス会

クリスマス会1部

 
クリスマス会2部 …恒例のケーキづくり…

美味しくなさそうな?男の子チームのケーキ

美味しそうな女の子チームのケーキ


ピクニック
山が乾いて、土砂崩れの危険がおさまった11月23日、近くの新宮村にみんなでピクニックに行きました。

車での山登りはキツイものがありましたが、快晴の空を舞うパラグライダーに見とれ、「来て良かったね」と言葉が出て来ました。




台風23号   2004.10/27
  台風23号が過ぎて3日後、新潟では新潟県中越地震が起き、37人の尊い命が失われてしまいました。震度7の地震と度重なる余震で、多くの物を失った人々は、今も尚、困難と恐怖と悲しみの中におられる事と思います。
 土砂崩れで埋まった車から男の子が奇跡的に救出された報道を息を飲んで見守りました。お母さんと娘さんが亡くなられていた事は大きなショックでした。

 
台風による土砂崩れをいつも見ていた私達には、あの惨状を他人事として見る事は出来ませんでした。全てにおいて神様の支えがある事を心からお祈り致します。

 少し前の台風23号の被害
ですが、新潟中越地震の事もあって、何か随分前の事のように思えます。四国中央市にある土居町は、小さな町の為、災害の報道は余りなく、口コミで被害の事が伝わってきます。台風23号の被害も1週間が過ぎて見えて参りました。
 
四国中央市 土居町
写真は、
教会の近くです。山積みになっている木は流れて来たもので、川をせき止め一帯が床上浸水になりました。2階から救出された人もおられました。
台風23号から1週間後

土居町 関川

土居町 蕪崎
  台風23号が来た時に、前の台風21号で家の前の橋が流された1人暮らしのお爺さんと犬は、教会に避難して頂きました。後で知ったのですが、非難された後、少し下流の地域はボートで避難したとか…。 その川も消防団の人が見ていたら、土手を人の高さ程超える鉄砲水が流れて来て両側に溢れたそうです。その方が帰られた時、庭の犬小屋が床上浸水だったのは、その時の水だったようです。
 他にも、家が崩れたり、思った以上に大変な被害だったようです。台風は少し離れた所の被害は分からない事を知りました。
 教会から見える
四国山脈も、良く見ると、雨が降った後は、土砂崩れ跡が増えています。山の保水力が限界を超えているのでしょう。

 本当に災害が多い年です。人間の小ささを思い知らされます。今は新潟県中越地震を自分の痛みとして祈っていきたいと思います。

PS:今日で新居浜地域のボランティアは終了だそうです。ボランティアの方々に心より感謝致します。


台風21号による高速道路の被害 2004.10/19
台風21号から3週間が経ちました…先日、高速道を走りました。
松山道の新居浜−西条間はスリルがありました。
 トンネルの入り口は木が引っかかって墜ちそうで
(台風23号でみな崩れ落ちていました)、100mおきに土砂崩れ、道路沿いに岩石がぞろぞろ…。

 西条の加茂川のトンネル入り口は、入り口脇のまだ新しい家の1階部分が潰れたままでした。

 高校生が亡くなった、新居浜の大生院は、山の山頂からの土石流が高速道路を乗り越えて襲ったものでした。 1回目の土石流で冷蔵庫に挟まれ、助けを求めている彼女を助け出そうと入っていった隣家の人も、2回目の土石流に呑み込まれて亡くなりました。新居浜教会員の方も、助けに入る直前だったとお聞きしました。

*この事はTVでも報道されました。その女子高生は土石流の直前まで、お友達とメール交換していたという事でした。その友達が、理容店の店長さんの妹さんだったと、理容店でお聞きしました。
 その店長さんの妹さんは、近所の方々と、泣きながら徹夜で土砂の中から遺体を探し出し、「見つかって良かった」と言った悲しい言葉が放映されていた子です。

 そのショックの中、半月間、避難所や親戚の家におられたそうです…やっと、家に帰られたそうですが、庭に、裏山から木がおちてくるので戦々恐々だそうです。
 店長さん自身も、土居−新居浜間の通行が遮断された為、お店で2日間、布団も無い所で寝泊まりされていたとか…。


台風21号の爪跡    2004.10/14
 台風21号が去って半月、まだ深く爪跡が残っている事が分かってきました。
新居浜は殆どが浸水し、道路の泥は一見無くなりましたが、浸水した家々は、今なおヘドロの撤去に負われています。
 今週から
近畿からもボランティアが駆けつけて下さり、私達も、お祭り休日を利用して、教会員のM兄と、M満君(小6)と、千葉夫婦で街の殆どが浸水した新居浜へボランティアへ行ってきました。
 

満くんも頑張りました。ケーブルTVからインタビューを受けました。

床下のヘドロとりは1人暮らしの方の手には負えません。

裏の家は1人暮らしの老人が多く、糞尿の漂う水が、あっと言う間に顔まで上がってきた為、柱にしがみ付いて助けを待っておられたという事です。
 

我が家だったら…と思うとかける言葉はありません。その時の様子をお聞きするしかありませんでした。

被災後、半月経った、新居浜市 阿島

  


 

橋が流され復旧もはかどりません

崩れた橋





土砂に埋まった田畑

かろうじて流されなかった橋

工場が潰れてその上をJRが…。

左端は列車です





台風18号の被害

 
近頃、台風銀座になってしまった感があります。

 
台風18号の被害
前の台風18号破損した屋根の修理(1/4を取り替えと補強)前日に済んだばかり迎えた21号でした。修理のお陰で、この度、土居教会の被害はありませんでしたが、瓦の修理が済んでいないまま台風21号を迎えた家も沢山あったようです。

 一夜明けて、四国中央市の被害が分かってきました…被害は思ったよりも大きいものでした。

 教会から
見える山のあちこちに土砂崩れの跡があり、橋が流されたり、床上浸水した家屋も多数でした。教会は線路が防波堤代わりとなって事無きを得ましたが、線路の向こう側は胸まで浸水した所もあったようで、不眠不休で、後始末に追われていました。1人暮らしの寝たきりのお婆ちゃんは逃げる間もなくベッドごと水に浮かんでいた所を近所の人に救助されたそうです。道路もあちこちで膝下まで冠水していました。土居教会の隣の用水路も溢れていました。
 道路は国道11号線が土砂崩れで、車が埋まったり…今も、高速道路や一般道。そしてJRも新居浜間が不通です。迂回路も無い状態で上空をヘリが飛び回っています。
鉄塔の下に土砂崩れ跡 こんなのがあちこちに…
                        
鉄塔の上の土砂崩れは、後の台風23号で出来たものです。
 教会の信徒さんのU兄の家の前の橋も流されました。1人暮らしのお爺さんですので、「教会に避難して下さい」と電話した直後だったそうです。川の決壊はU兄の家と反対側だったので手助けをされておられたとの事でした。

 そして、なにより大きいのは
死者が出た事でした。
 四国中央市の(旧)川之江でも中学生が土石流にのまれて死亡し、土居町では、避難中に土石流に巻き込まれた63才の婦人が亡くなられました。
隣の新居浜や西条でも、高校生をはじめ何人かが亡くなられました。
 
台風16号.18号.21号.23号と、度重なった台風、全てで浸水した家屋、住む事が出来ない状態です…重なる被害に、戦う気力を失われている方もおられるようです。ご高齢の1人暮らしの方など、災害弱者の方々の為に、なおお祈り下さい。
2004.9/30

韓国伝道チーム
台風でファミリーキャンプに参加出来なくなり、急遽、土居キリスト教会に宿泊して頂いた韓国チームが、素晴らしい賛美やスキットの集会をして下さいました。
 
力溢れる賛美
予定されていました四国教区のファミリーキャンプは、台風の影響で、山間のキャンプ地の為に中止となり, 韓国、中国、台湾の教会から伝道チームが参加して下さる為に来られた韓国伝道チームの方々に迷惑をかけてしまう事になってしまいました。

 彼等は学生さんや、社会人の方々で、仕事が終わってから、賛美や劇の練習をして来て下さっていたのです。

 何よりも祈りに祈って、参加費も旅費も自費で、そして伝道の必要経費を献金してきて下さったのでした。しかし四国に入った途端、キャンプ中止…宿泊所も無くなり、祈り、そして準備して来られたものが、皆、無駄になってしまう事態に…。

 そこで観光を兼ねて行く予定だった松山に行って、松山城で祈ったのだそうです…”その時、彼等の心に触れた聖霊は、「人の力は無力である事、天候の前にも、神の前にも…。その中で、「全てを神にお任せしよう神様は何とかしてくださる」との祈りに導かれた”のだそうです。

 急遽、土居教会に泊まって頂く事にしました。会堂に座布団を敷いて寝て頂きました。1番驚いたのは、夜の11時半に到着された時、疲れ切ったおられるのに、ある方が会堂の隅の方でひれ伏して祈っておられたのです。
 愚痴1つこぼさず、それ所か聖霊に満たされて委ねきっておられるのです…私は感動し、また教えられ、彼等と1つとなる事が出来ました。

 一通り自己紹介を済んだ所で、「牧師先生御家族は真ん中に来て下さい」と言われ、そしたら周りを囲んで手を置いてお祈りをはじめられたのでした。ビックリしながらも、聖霊で満たされました。

 翌朝も早くから賛美して祈っておられました。折角なので子供集会をして頂く事になりました。急遽、数名程人を集めましたが、どうにもなりませんので、隣の教会にまで声を掛けて集会が始まりました。 伝道チームの青年達の賛美と劇とメッセージ…全て素晴らしいものでした。”何よりも、ハプニングの中愚痴一つ言わす、自分を献げ切って、委ねておられる姿に教えられ感動”しました。そして教会の掃除までしていって下さったのでした。

写真←クリック

 私は、”青年達が土居教会に溢れている姿を見て、私は、この教会にも青年が溢れるビジョンと、彼等のようにキリストに自分を喜んで献げて祈り委ねる姿を見て、そんなキリスト者へと成熟していく…そんなビジョンも頂いた”のです。

 
スキット   
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先日、サッカーのアジアカップが中国で開催されていましたが、日本に対する大ブーイングをみて、日本のアジア侵略によって、今なお残る反日感情を見せつけられました。そんな中国、台湾、韓国から来て下さったのです…”聖霊に生きるとはこういう事”なのだと教えられました。
韓国・中国・台湾・日本合同伝道チーム
来年も来てね!
          2004.8/2〜3

祈祷会への献身

7/25の説教から…
「私共が自分達の信仰の足腰を見つめる時に、祈らずにおれなくなるのです。先週の祈祷会より、1人の御高齢の婦人が、教会の足腰が強められる為に、お身体の弱さを押して祈祷会に戻ってきて下さいました。

 2ヶ月前は、もう1度起きる事が出来るのかと誰もが思った所から復活されて祈りに献身して下さったのです。まだ十分ではないのにです。

そのように老いも若きも”祈りへと献身して行く所で教会の足腰は強められて行く”のです。」

                       7/21


献堂16周年記念礼拝
今年は、今年菊間教会に赴任して来られた杉野順子先生にお話しして頂きました。

杉野順子先生のお話は、いつものように、命に溢れた心に残るお話しでした。
 
うどんツアーにも…。

2004.7.11


プレYouth Jam2004 in
←(クリック)
プレYouth Jam2004 in 土居教会写真集
MEGGY先生

教団青年主事巡回中の渡部恵牧師が巡回して下さいました。
 渡部恵先生は東京聖書学院教会出身で、全国の 青年達から、「
メギー先生」と慕われている素敵な先生です。

 MEGGY先生がお話しの前、陰の部屋で、ひれ伏して神の御前に出られて、神に委ねようと祈られて姿を忘れる事が出来ません。説教も心に響いて留まっています。

 高知からは、特別賛美の為に越智教会員の
ワイルドキッズ 有志が駆けつけて下さり、。同じく越知教会員のユン・ジ ーヨン姉(越知町国際交流員)姉が素晴らしい証しをして下さいました。佐伯先生も駆けつけて下さり主イエスの臨在溢れる賛美となりました。
ワイルド・キッズユン・ジーヨン姉  
 午後は山道を2時間半かけて、高知県越知町桜座ホールで開かれた、プレYouth Jam2004に応援に行きました。

笑って恵まれた時でした。


ピクニック
6月
別子銅山(既に閉山)で育った多いので、別子山村へピクニックに行きましたが、既に家屋が無く、思い出の場所を見つけられませんでした。でも、楽しい時でした。今度は、調べて思い出の場所を探しに行こうと燃えています。


富郷ダムにて

卓球大会
5月
大人も子供も卓球に燃えました!

 



教会のリフレッシュ工事が始まりました。

施工社 三州ペイント(0120-345-834) http://www.sunsyupaint.co.jp/…光触媒が塗料に入っているお薦めのペイント会社です。職人さんも素敵な方々でした。
リフレッシュ前
     ↓
リフレッシュ後
1/7 
左1度塗り・右2度塗り
 






1/15 工事完了

礼拝堂の壁紙も綺麗になりました


2004年2月7日
会堂の壁紙が綺麗になりました。
      
予定がずれ込み、土曜の夕方作業が終了し、雪降る夜に、教会員の婦人やお婆ちゃん達が集まって下さり、 作業で床に積もった白い粉を、3度も水ぶきして礼拝に臨みました。
貼ったばかりの壁紙の為に、窓を開けストーブを消しての作業でしたが、綺麗になった会堂を喜びながらの思い出のお掃除でした。

珍しく雪が積もった土居
2004.1/21


2003年
   

キャンドル礼拝
  

聖歌隊と里枝姉の司会でした。
クリスマス祝会


三木姉のマジック…こんな特技があるなんて!
子供クリスマス会

93才 教会学校教師の大西姉が熱いメッセージを語って下さいました。

恒例のケーキ作り大会


壮年会主催旅行…in 高知

11月24日
高知グレース教会の佐伯先生のナビゲーターで楽しい旅行が出来ました。
鰹のカツオのわら焼き 道の駅「かわうその里すさき」で

in 桂浜
(坂本龍馬の顔が…切れちゃいました)

幼児祝福式
 2003年11月16日

三木初穂ちゃん3才、守君5才、横内亜美ちゃん1才

病床聖餐式
老人福祉施設”ちかい”で、礼拝に出席する事の出来ない、鷲沢富美江姉と共に聖餐式をしました。

鷲沢冨美恵姉(96才の誕生日の1週間前)&大西ハルエ姉(93才)
2003.11月9日

召天者記念礼拝

11月9日
合田千代子姉

四国教区青年会アフターキャンプ in 土居教会
11月2〜3日にかけて土居教会でアフターキャンプが開かれました。
ワイルドキッズ
土曜の夜11時半について鍋を食べ、礼拝の前に賛美の練習をするワイルドキッズ(高知の越知教会員)、たっちゃんは夜勤明けのまま、朝7時前に土居に到着!
びわこ教会の中西雅裕牧師が、礼拝、アフターキャンプ、四国教区壮年会のメッセージをして下さいました。
恐るべき讃岐うどんツアー in アフターキャンプ
山内にて「雨が降っても讃岐は美味い!」
いやあ、あの妖怪ポストがありそうな道を抜けたら現れる山内のシチエーションが好きだったのに、駐車場になってて、がっかり(でも、連休日は待ち時間が少なくて助かりますが…)。
讃岐うどんの聖域 山越え
雨の中、1時間以上も並んだ奇特な青年達

天を見つめて食べる聖子ちゃん
「あ〜美味かあ」
特別賛美礼拝

ゴスペル・シンガー
米田浩史宣教師を迎えて
昨年に続いて、米田浩司先生を迎えての賛美礼拝となりました。

今年は、仙台や東京から佐藤4姉妹も駆けつけて下さいました。

”癒し系”なんて言っちゃ失礼です…”癒しの賜物のある賛美”を歌うゴスペル歌手の米田先生です!
2003年10月12日

翌日、四国教区賛美大会でもコンサートをして下さいました。
四国教区の賛美大会で
2003年10月13日 

※米田浩司先生の紹介

 
愛嬢県松山市出身。2000年ワシントン州カークランド市にある ノースウエスト・バイブル・力レッジ卒業。現在、アメリカ。 カリフォルニア州フラトンにある葡萄の木国際フェローシップ 教会音楽宣教師として仕える。
 
9年前から日本語のオリジナルの賛美を通して音楽活動を開  始。流しのようにギターを抱え、全国各地の教会、施設、居 酒屋、ライブハウスなどで福音を歌っている。また近年、日本 では心の病の時代とも言われているが、本人も心の病を通さ れて信仰を持ったこともあって、ひきこもりや登校拒否の方々 のための家庭訪問コンサートなども開いている。米国、韓国、 ヨーロッパ等へも活動の場を広げている。

 
5年前にファーストアルバム「心の扉」を、昨年
セ力ンドアルパム「Testimony」
をそれぞれリリースする。 癒し系の音楽として好評で、「心の扉」の中 の"神様の贈り物''という曲は、米国、ロサン ゼルスの日本語TV放送で主題歌としても用 いられた。

米田浩司先生の証文 ←クリック
http://www.sakaeshalom.org/hiroshi/
    e-mail  
tehillim@sf.starcat.ne.jp 

合田文次兄の告別式 (於 土居キリスト教会)
 
共に礼拝をして来られた、合田文次兄が、2003年8月29日(月)早朝に召天されました。享年84歳 天国での慰めと、御遺族の上に豊かなイエス・キリストの慰めを…そして、天国での再会を信じ祈りつつ…。

8月26日前夜式

8月27日告別式 喪主 合田芳晴兄の御挨拶
納骨式
2003年8月26日〜27日



前任者の濱牧師御一家と
2003年8月20日祈祷会後

ブラジルへ宣教師、新谷牧師夫妻
 
新谷聡一郎牧師(前、みのお教会牧師)&聖美牧師
  
大西姉&守部姉と
2003年7月

点字でゴスペル


真実ちゃんが点字でゴスペルを打ってくれました。


 洗礼式
*4月20日のイースター礼拝で横内正隆兄が受洗の恵みに預かりました。
横内兄、2003年4月20日

1年半ぶりに復活 93才の教会学校教師
 2003年1月26日

おそらく日本最高齢?の教会学校教師の、大西ハルエ姉

証のページでも紹介しています大西ハルエ姉は、1年半前、交通事故に遭われ、車椅子での病院生活になられました。
1人暮らしだった、大西ハルエ姉にとって、辛く孤独な日々だったと思います。
 でも篤い信仰をお持ちのハルエ姉は、そんな逆境を乗り越えられ、
2003年1月26日、
93才の教会学校教師として復活され、祈って準備されたお話を、熱く子供達に伝えて下さいました。

2003年の2月5日に、高知グレース教会の佐伯牧師の御協力によって、menu欄に映像(お話入り)を載せる事だ出来ました。どうぞ御覧下さい。

2002年
    

子供クリスマス会
ケーキ作りコンテスト
  
  
 
2001年 12月16日

 幼児祝福式 
2001年 11月18日

守君(3才)。初穂ちゃん(1才)。大河君(3才)。

2001年10月20日

看板取付中
新居浜教会の 加藤さんが教会の看板を製作して下さいました。


完成! 加藤さん御夫妻と
西姉の長い間の祈りへの感謝として、看板を製作して献品下さいました。感謝!

2001年10月5日

熊田ますゑ姉と大西姉
山口県から、熊田ますゑ姉が大西姉のお見舞いに来て下さいました。

 お二人は、16年?程前、当時”百万人の福音”の記者だった、娘さんの”熊田和子姉(現在、ブラジルで文書伝道中)が、大西姉の証を取材された事がきっかけでお知り合いになられました。

 その後、大西姉は、熊田さん御一家の写真を見ながら、ずっと祈って来られ…祈り合う中、大西姉と熊田さん御一家は家族の様になられたそうです。
 お1人の大西姉にとっても、そんな交わりは、喜びであり、慰めに満ちたものだったであろうと思います。

 今年7月大西姉が大怪我をされた時は、驚く程、多くの人々が篤い祈りを捧げて下さいました。
 熊田ますゑ姉や和子姉、そして御家族の方々も、もそんな人々でした。
 
 熊田姉は、大西姉が怪我された時の事を振り返りながら「大西姉は、魂の親でした。此処で大西姉が召されたらどうしよう」大きな祈り手を今失う訳にはいかない…との思いで「神様、どうしてですか?」と祈り続けて来て下さったそうです。
 こうした方々の祈りを通して、大西姉の上に”奇跡”が起きたのです。祈り手である大西姉は、まだまだ主イエスに必要とされているのでと今更ながらに思わせられました。

熊田姉と…。

 
教会で、夕食をともにしながら、私の父の被爆の話から、終戦時、広島県の県境におられた熊田姉の原爆体験の話しになりました。

 原爆投下の2週間後、救助活動に参加した熊田姉は「幼稚園児位の女の子が、遺体にかけられたムシロをめくりながら、亡くなった両親を捜し回る光景を今も忘れられない。」と語られました。

 そのお話をお聞きしながら私は「イエス様は、どんな思いでそこにおられ、その子を見ておられたのでしょうね?」と語っていました。
 その後、暫く沈黙が続きました。
大西姉を通して、主にある素晴らしい出会いを与えて頂きました。
祈りの交わりの尊さをも教えられた時でした。


7月8日
加藤 望先生と
19年前、土居教会が伝道所だった頃、まだ東京聖書学院のインターン生だった加藤望牧師が1年間、伝道して下さいました。その加藤牧師が献堂12周年の特別礼拝でメッセ-ジをして下さいました。
 午後には、昔、お世話下さった鷲沢姉(自宅で静養中、95才)と大西姉(2日前、交通事故で重体、91才)を訪問してお祈り下さいました。とても深い喜びと慰めの再会の時となりました。


6月

真鍋ヤス子姉が息子さんの真鍋孝牧師(現、福音聖書神学校校長)が20年程前、パプア・ニューギニアに宣教師として遣わされていた頃の、現地の賛美歌を紹介して下さいました。

結婚式  
1月7日 

ジョシュ・カーター&ナオミ・グロード

豊田兄 洗礼式
合成写真ですけど…。
2000年クリスマス


1988年〜1989年 会堂建築

故 尾花晃師にる定礎式

 
  
荒井道夫師(現、調布教会牧師) 荒井なを子師(現、調布教会牧師婦人)

  
             
荒井牧師御夫妻
教会日記

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