イエスは故郷での宣教後、今度は弟子たちを遣わすためにまずご自分の所に呼び寄せられました。弟子たちに大切なことを伝えて宣教に遣わすために、一人一人名を呼んで、ご自分のもとに招かれたのです。主イエスの招きは、弟子たちや現在の牧師・伝道者だけに向けられるものではありません。私たちはイエスが呼び寄せて下さったから、神を信じて今ここで礼拝をささげ、宣教に遣わされていく者となるために招かれているのです。
次にイエスは、弟子たちを二人組にして、宣教に遣わされました。二人組の利点は①互いに励まし支え合える②判断がより的確になり、間違いも生じにくい③怠惰・無関心を戒め合える等…挙げられます。私たちも家庭生活や教会での奉仕でその良さを体験したいと思います。
また宣教に出かける時は、杖(神の約束)と履物(歩くこと・信仰)だけで他は何も持たないようにと注意されました。それは弟子たちが、神だけを頼りとし、神の守りに信頼することを求められたのです。その土地を去る時が来るまでは、主が置いて下さるところで自分の都合・不都合に支配されないでできる限り「そこにとどまって」伝道するようにと言われたのです。皆さんは今どのような歩みをしているでしょうか。
さらに「足の塵を払い落としなさい」とは、イエスのメッセージを拒絶した人がいたなら、自分自身を分離すること。いつまでも自分が握っているのではなく主に委ねるようにと言われたのではないでしょうか。弟子たちは、出て行って、神に対する悔い改めを説き、悪霊を追い出し大勢の病んでいる人たちを癒してきました(12,13節)。彼らがイエスによって派遣される目的は何だったでしょうか。それは人々を束縛している様々な事柄から開放することでした。人々を解放する事のできる権威(権限)の源は、イエスご自身の中に有り、イエスがその権威を弟子たちに与えて下さったのです。
では、クリスチャンに与えられている神の権威とは何でしょうか。それは「イエス・キリストの御名によって、祈ることができる」ということです。だから、私たちは力がなくても弱くてもいいのです。なぜなら、私たちを様々な束縛から解放してくださる救い主イエス・キリストの御名の権威が、主を信じる一人一人に授けられているからです。私たちも、主に呼び寄せられた者として、主だけを頼りとし、主の御名の権威を持って祈り、多くの人々に主の平安と祝福を広める者とされますよう、整え遣わして下さいと祈ろうではありませんか。