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日本ホーリネス教団

松山桑原キリスト教会

『全て重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。』   (聖書)

日曜日10時15分から聖日礼拝をライブ配信しています

※お願い 動画配信で礼拝を守られた方は、LINE、メール、電話等で教会に連絡してください。礼拝出席者としてカウントされます。
 ライブ配信終了後は、メッセージの音声を配信します。

聖日礼拝 2024年3月24日
説教題 「あなたはメシアか」
聖書箇所 ルカによる福音書第22章63節~23章12節
説  教 安井 光 師

【礼拝式順序】
前  奏
招  詞  詩編第96編1~9節
頌  栄  (60) 天地こぞりて
主の祈り  826頁
賛  美  (105) 栄えの冠を
信仰告白  使徒信条(826頁)
賛  美  (112) カルバリ山の十字架
交 読 文  50番(イザヤ書53章) 
祈  祷
聖書朗読  ルカによる福音書第22章63~23章12節
説  教  「あなたはメシアか」
祈  祷
賛  美  (108) 丘に立てる荒削りの
献  金
祈  祷
頌  栄  (63) 父、御子、御霊の
祝  祷
後  奏


先週の礼拝メッセージ

2024年3月17日
説教題 「主がお入り用なのです」
聖書箇所 マタイによる福音書第21章1~11節
説  教 安井 満 師(2012年3月11日 録音)

 

 主イエスは私たち一人ひとりを必要としています。このことを知らされる時、私たちに生きる希望が起こります。主イエスは大切な時と場所で最も小さな者を用いて下さるのです。

  この箇所は、主イエスのエルサレム入城と呼ばれている所です。なぜ入城なのでしょうか。この時、主イエスが王として民衆から大歓迎の中で迎えられたからです。主イエスはこれまでも何度かエルサレムを訪問しました。ある時など、主イエスが人目にたたぬように密かに行かれたこともあります(ヨハネ7:10)。しかし、今回のエルサレム訪問はいつもとは様子が違っていました。

  主イエスは弟子たちにエルサレム入城の準備を指示しています。その指示とは、子ろばを見つけたら「主がお入り用なのです」と言って、主イエスの所に引いていくというものでした(2∼3節)。弟子たちはその指示に従い、子ろばを連れてきました。それは、まだ誰も人を乗せたことのない子ろばでした(マルコ11:2)。初めて人を乗せる子ろばですが、主イエスを乗せる力は備わっていました。

  子ろばに乗ってのエルサレム入城は、その時の主イエスの思い付きではなく、ゼカリヤの預言の成就でした。5節の「シオンの娘に告げよ。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。へりくだって、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」の言葉は、ゼカリヤ9章9節からの引用です。主イエスがエルサレムに入城されたのは、ローマ軍との戦争の準備のためではありませんでした。そうではなく、全人類の罪を背負って、身代わりの死を遂げるためでありました。「あなたの王が…へりくだって、ろばに乗り」と書かれているのは、平和の王を意味します。戦争を目指した歴代の王は、軍馬に乗って入城しました。しかし主イエスは神と人との間、人と人との間に平和を確立するために、十字架の死を目指していました。

  主イエスにとってのエルサレム入城は、非常に意味のある出来事でありました。その時に必要とされたのが、軍馬ではなく子ろばでありました。軍馬は常に脚光を浴びますが、それに比べ子ろばは目立たない存在です。しかし主イエスの大事な時には、普段は目立たない子ろばが必要でした。主イエスは、どんな小さな者であっても、必要な存在にして下さいます。私たちがどのような状況にあっても、「主がお入り用なのです」。

集会案内

子ども礼拝  日曜日10:30
礼  拝   日曜日10:15
夕拝(随時) 日曜日19:00
 (電話でご確認ください)
祈 祷 会    木曜日10:00
聖書を読む会 第3水曜日 10:00

日本ホーリネス教団
松山桑原キリスト教会
牧師 安井 光 安井 直子
〒790-0911
松山市桑原2丁目2-14
TEL 089-941-8997

松山桑原キリスト教会は、愛媛県松山市にあるプロテスタントのキリスト教会です。
統一教会、モルモン教、ものみの塔とは関係ありません。


初めての方へ
人に必要な魂の安息

 日曜日は、多くの人々にとって休みの日(休日)です。カレンダーには通常の日と色分けされ、赤色で記載されています。ウイキペディア(インターネット百科事典)で「日曜日」を調べると、「神が天地の創造を六日間で終え、七日目に休んだとされる創世記が日曜日の起源」とあります。

 確かに、旧約聖書・創世記1~2章には、神は六日の間に天地創造をなさり七日目に休まれ、その日を聖別し祝福されたということが記述されています。

 その日は後に「安息日」と呼ばれるようになりますが、今ではキリスト教国だけでなく日本でも日曜日を安息の日として休みます。神は七日目に創造の業を終えて休まれたのですが、それは神のかたちに創造された人間に休みを与えるために他なりませんでした。

 神が休まれたのですから、人間が休まなければならないのは当然でしょう。休むことをしないで活動をし続けることは、肉体的にも精神衛生上も良くありません。

 神は”魂の安息”を私たちに与えて下さる方です。創世記に示されているエデンの園は、楽園のモデルと言われますが、人は誰でもエデンの園で神がアダムやエバに賜わった安息を慕ってやまない、魂のDNAを持っているのではないでしょうか。私たちには肉体の休息だけでなく”魂の安息”が必要なのです。

 クリスチャンは、日曜日に天地の創造主なる神、神の御子・救い主であるイエス・キリストを礼拝します。礼拝をささげる時、心に安らぎが”魂に安息”が与えられます。

 イエス・キリストは、「すべて重荷を負うて苦労してい者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。・・・あなたがたの魂に休みが与えられる」(マタイ11:28~29)と、すべての人を神による真の安息へと招いておられます。

 神は、魂に安息を与えてくださるお方です。ぜひ教会にお越しください。私たちの教会はあなたのお越しを心から歓迎いたします。