ガリラヤの五千人の人々にイエスがパンを十分に食べさせた奇跡は、人々に非常に大きな衝撃を与えました。人々はイエスを自分たちの王にしようと思い、イエスを捜し回りました(14∼15節、22 ∼24節)。人々は、イエスがイスラエルをローマの支配から解放し、自分たちを幸福な生活に導いてくれると期待し、イエスの許にやってきたのです。イエスは人々の思いを見抜いておられました(26節)。パンは食べたらまたお腹が空きますが、イエスは食べても空腹にならないパンを人々に与えようとしておられたのです(27節)。
私たちは生きるために衣食住を必要とします。私たちは何を食べようか何を飲もうか何を着ようかと、自分の命のことで思い煩いますが、神は私たちに必要なものをすべてご存知であり、それを与えて下さる方です(マタイ6:33)。神は私たちにさらに必要なものを、もっと大事なものをお与えになるのです。それは「永遠の命に至る食べ物」であるとイエスは言われます。ガリラヤの人々はイエスに肉の糧を求めましたが、神は御子イエスをとおして霊の命の糧を与えようとしておられたのです。
人は生活の糧を得るために働きます。イエスは人々に対し、「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われます。「神がお遣わしになった者(イエス)を信じること…が神の業」であり、永遠の命に至る食べ物を得るためになすべき「働き」であると示されるのです。「御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)と福音書記者ヨハネは告げています。私たちの仕事は、肉の糧を得ることだけに終始しないのです。神と共に生きるために、霊の命の糧を与えるイエスを信じなくてはなりません。
イエスを信じるのは、一生涯の仕事であり、楽しい仕事です。イエスを信じるとは、イエスの救いの恵みに生きるということ、イエスの御言葉を信じて生きるということでしょう。私たちは、神の霊によって生きる者として造られおり(創世記2:7)、神の言葉を食べて生かされるのです(マタイ4:4、エレミヤ15:16)。
ガリラヤの人々は「あなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか」と、イエスにパンを求め、見えるしるしを求めました(30∼31節)。十字架の死と復活こそが神の愛と救いのしるしです。私たちは変わらないこのしるしによって、イエス・キリストを信じようではありませんか。そしてこのお方から永遠の命に至る食べ物を豊かに与えていただきましょう。