今週の聖句 「わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」   ヨハネによる福音書第18章37節

2020年3月29日
説教題 「イエスの裁判」
聖書箇所 ヨハネによる福音書第18章28節~40節
説教者 安井 直子 師

 イエスが受けた裁判は、ひと晩に6回もたらい回しにされるという実に不当なものでした。しかしイエスは、ただ黙って静かにこの裁判を受けて下さいました。

 当時ユダヤはローマの支配下にあり、死刑を執行することはできませんでした。ユダヤ人たちは、イエスをローマ総督ピラトのもとに連れて行き、「過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった」のは自分たちの手を汚して、過越の食事ができなくなるのを避けるためでした。また、イエスの具体的な罪状を答えられず、とにかく死刑を要求しました。

 ピラトはイエスを呼び出して審問をします。ピラト「あなたは、ユダヤ人の王であるか」(33)、イエス「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。・・」(34)、ピラト「あなたは、いったい何をしたのか」(35)、イエス「私の国はこの世のものではない」(36)、ピラト「それでは、あなたは王なのだな」(37)、イエス「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。誰でも真理につくものは、わたしの声に耳を傾ける」(37)と宣言なさり、ピラトの心を真理に向けさせようと言うイエスの思いが伺えます。

 ピラトはイエスに「真理とは何か」(38)と尋ねます。完全に二人の立場が逆転しています。ピラトは【私はあなたの言う真理がわからない】ということを無意識に告白しています。これはとても重要な質問です。しかしピラトはせっかく重要な質問をしながら、イエスの言葉を聞こうとせずユダヤ人の所に出て行ってイエスの無罪を示そうとしましたが、彼らは「その人ではなく、バラバを」(40)と叫びました。

 ピラトは「真理とは何か」という問いを持ちながら、真理そのものであるイエスから目をそらし、その声に聞き従わず真理につく者となることはできませんでした。ピラトは総督としての地位が何よりも大切で、それを守ることで必死だったのです。人を恐れ、裁判の席でもユダヤ人とイエスの間を出たり入ったりしているピラトの心は全く自由ではありませんでした。彼らを恐れたピラトは、その後ユダヤ人の言う通りに無実のイエスを罪に定めてしまったのです。聖書はこのピラトの中に私達の姿があることを教えています。

 しかしイエスによって救われた私達は「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)と言われるイエスに聞き従い、真の自由と平安の中を歩む者でありたいと思います。