今週の聖句 「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」   (マタイによる福音書第10章39節)

2018年2月18日
説教題 「剣と十字架」
聖書箇所 マタイによる福音書第10章34~42節
説教者 安井 光 師

 イエスは、ご自分が「地上に…平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」「人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるため」にきたと言われます。世の人々が聞けば、キリストは親不孝を教える、キリスト教は争いをもたらす宗教だ、と思われるかもしれません。クリスチャンにとっても、なかなか理解しがたいイエスの言葉です。

 確かに、イエスは平和をもたらす王として世に来られました(イザヤ9:6、ゼカリヤ9:10)。聖書は兄弟愛を教え、父母を敬うように命じています(詩篇133:1、出エジプト20:12)。家族の関係はユダヤ人のみならず、すべての国民が重んじるものでしょう。ただ、その重要性を知りながらも、その関係が良好に保てないでいる。また平和であることを願いながらも、国家や民族の間に、あるいは様々な人間関係に、争いや諍いが絶えないのがこの世の現実ではないでしょうか。イエスはそのような人間の現実世界に跳び込んでこられたのです。イエスは人類が抱えている根本問題に、剣の如くに鋭く切り込んでこられるお方なのです。

 戦争がない状態を、本当(本物)の平和と呼ぶことはできません。それは武力で保たれているものであり、ボタン一つで一瞬にして破壊されてしまう危ういものではないでしょうか。この世は、人間の力や知恵の限界を思い知らなくてはなりません。真の平和(シャローム)は、ただ神の主権的な働きによって、神がこの「地上」に遣わされた救い主イエスによってもたらされるのです。

 最初の人であるアダム以来、私たち人類は神に背を向け、神に反抗しまた敵対しながら生きています。神に対する「敵意(罪)」によって、人類は最も大切な神と関係、神との平和が壊れてしまっていたのです。イエスは十字架の犠牲をもって「敵意」を滅ぼし、私たちを神と和解させ、真の平和をもたらされたのです(エペソ2:14-17)。十字架は元々処刑の道具であり、おおよせ平和とは結び付きにくいものでしょう。しかしながら、イエス・キリストの十字架は、人と人との間にある敵意さえも取り除き、争いを取り去って神による真の平和(シャローム)をもたらすのです。

 イエスの十字架は真の平和をもたらすものですが、また私たちの人生・日々の生活においても神との関係を最優先させるものであり、私たちのなかで神が第一とされていくためのものでもあります。イエスは神と和解した者たち、私たちクリスチャンに対して、「自分の十字架をとって」従ってくることを求めておられます。イエスは私たちにご自分を愛することを要求されます(17節)。私たちには家族関係をはじめ、大切なもの(お金、仕事、生き甲斐)が色々とあるでしょう。それらのものとの関係、自分とのつながりが最優先にされ第一とされてしまう時、最も大切なものを失ってしまうことになるのです。「自分の命」をもイエスに明け渡して従っていく時に、それを最善のかたちでイエスから受け取るようになるのです。

 私たちは、弟子たち・十二使徒の如くにイエス・キリストの全権大使としてこの世に遣わされています。「クリスチャン(キリストに属する者)」と、世の人々から呼ばれていることを誇りにしたいと思います。彼らは私たちを見て、キリストを見るのです(40節)。最終的に見られるのは表面的なものではなく、私たちのうちに生きておられるイエス・キリストです。このお方が、彼らにも真の平和を与えて下さるのです。そのことを覚えつつ、遣われてまいりましょう。