今週の聖句 「彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」   マタイによる福音書第17章27節

2018年12月9日
説教題 「神の子のふるまい」
聖書箇所 マタイによる福音書第17章24節~27節
説教者 安井 光 師

 イエスと弟子たちがカペナウムに戻られた時、神殿税の徴収人らがやってきてイエスが神殿税を納めていないことを咎めました。イスラエルの二十歳以上の男子は毎年神殿税を納めることが律法で定められていました。ペテロは「納めておられます」と答えました。イエスは各地の伝道に忙しく、今年の分をまだ納めていなかったのかもしれません。

 イエスはペテロに、「この世の王たちは税や貢をだれから取るか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」と尋ねました。「ほかの人たちです」とペテロが答えると、イエスは「それでは、子は納めなくてもよいわけである」と神の子であるご自分が律法に縛られない自由な立場にあることを示されました。しかしイエスは徴収人らを「つまずかせないために」、釣り上げた魚の口に見つかる銀貨一枚をご自分とペテロの神殿税として納めるように命じたのでした。

 使徒パウロは、世の人々がイエスの十字架に躓く現実を述べていますが(Ⅰコリント1:23)、躓きの原因は人間の側(偏見、罪の問題など)にあると言えます。神は決して人を躓かせようとなさる方ではありません。イエスは人々に余計な躓きを与えることをよしとされなかったのです。イエスが神の御子の特権を放棄なさったのは世の人々を救うためでした。些細なことで人々を神の救いから遠ざけてはならないと、イエスはペテロに教えようとされたのです。

 弟子たちをはじめイエスを神の子・救い主と信じる者たちは皆 神の子とされています(Ⅰヨハネ3:1)。神の子とされた者たちには、イエスによる真の自由が与えられています(ガラテヤ5章)。自由だからといって、私たちは法律や規則を破ったりはしないでしょう。しかしそれらの範疇にない事柄に関しては、各自思うままにふるまってしまうものではないでしょうか。例えば何を食べ何を飲むかは各自の自由ですが、その仕方によっては他者を躓かせる要因ともなります(Ⅰコリント8章)。何をするにしても、自分のふるまいが他者を躓かせることはないか、心を配らなくてはなりません。

 イエスがペテロに神殿税を納めさせたのは、徴収人らを「つまずかせないため」でした。イエスはご自分が非難されないためでなく、ただ世の人々を救いたいという一心でそうなさったのです。自己中心的なふるまいは人々を躓かせますが、他者を配慮する自由なふるまいは人々を神に導いて御前に立つことができるようにするのです。