今週の聖句 「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」   マタイによる福音書第25章40節

2019年11月17日
説教題 「小さき者のひとりに」
聖書箇所 マタイによる福音書第25章31節~46節
説教者 安井 光 師

イエスは再臨なさる終わりの日に、「羊飼が羊とやぎを分けるように」、御国を受け継ぎ 永遠の生命に入る者とそうでない者に選り分けると言われます(31-35、45節)。生きている者も死んだ者も、ユダヤ人も異邦人も、信者も未信者も、「すべての国民」を御前に集めて審きを行われるのです。

 何を判断基準に選り分けるのでしょうか。それはイエスに対してなされた愛のわざによってでした。全世界を統べ治めておられる「王」なるイエスは、すべての国民が小さな愛のわざに生きたかどうかを見ておられるのです(35-36節、42-43節)。本人たちも気づいていないような小さな愛のわざを、この王は見ておられるのです。「小さい者のひとり」にしたわざを、ご自身にしたのと同じこととして見ておられるのです(40節)。

 聖書は信仰義認を教えていますが(ローマ3-4章)、結局は愛のわざや善い行いによって、天国に入るかどうかがはかられ、振り分けられてしまうのでしょうか。そうではありません。イエスが求めておられるのは信仰です(ヨハネ3:16、14:1、ヘブル11:6)。ただその信仰を吟味なさるのです。イエスを信じるというのは、イエスの十字架の贖いを信じ、復活の命と希望を信じることです。「信じた」という過去の出来事で終わらず、今現在、私の神、私の救い主と信じて生きること、終わりの日に世に来られるのを待ち望みながら生活することです。信仰は小さい者を愛し敬うという生き方となり生活となるということを、イエスは教えておられるのです。

 小さい者を愛されたのは、他ならぬイエスご自身でした。イエスを信じる者はイエスを愛します。イエスを愛し敬うなら、小さい者たちを自ずと愛し敬うことなる。イエスにしていると思わないまでに、そうするはずなのです。私たちがそうする前に、イエスが私たち(小さい者)を愛し尊んでおられる事実を忘れてはいけません。主を愛し、隣人を愛することは、主の命令ですが、強いられてではなく、愛された者としてさせていただけるのです(申命記10:12-22)。

 主イエスは私たちが主の愛を信じて生きることを求めておられます。私たちの生涯に目を注ぎ、小さい愛のわざに心を留めておられます。意識しないままに小さいひとりを愛し重んじることができますように、私たちは主の愛を信じ、主の愛に生かされてまいりましょう。