今週の聖句 「イエスは彼らに言われた、『なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ』。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった」   マタイによる福音書第8章26節

2017年10月15日
説教題 「嵐を静めるイエス」
聖書箇所 マタイによる福音書第8章23~27節
説教者 安井 光 師

 イエスが弟子たちと共に舟に乗り込まれると、舟は向こう岸に向けて出発しました。「すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうにな」りました。突然の事態に弟子たちは慌てました。弟子たちの中の四人は元漁師だったので、漁場であったガリラヤ湖の天候についてよく知っており、似たような状況を経験していたことでしょう。ところがこの時、彼らには為す術がありませんでした。これまで経験したことがないような想定外の嵐が弟子たちの舟を襲ったのです。この時に、「イエスは眠っておられ」ました。弟子たちはイエスを起こし、「主よ、お助けください。わたしたちは死にそうです」と不安と恐怖におののきながら窮状を訴えたのです。

 私たちの人生は、舟の航海に準えることができます。イエスを信じイエスに従う者たちの生涯は、順風満帆の航海であるわけではありません。弟子たちがそうでした。けれども舟には弟子たちだけではなく、イエスが乗っておられました。私たちの人生の舟にもイエスが同船しておられるのです。嵐や困難が私たちの人生を襲うことがありますが、どのような状況に置かれても私たちは一人ではないのです。イエスが共におられるのです。嵐や困難に遭わないことが幸福なのではありません。現実に嵐や困難が人生航路を襲いますが、それらに遭わないようビクビク思い煩いながら向こう岸に向けて進む人生であるとすれば、辛くしんどいだけでしょう。しかし救い主なるイエスが共におられることが分かれば、恐れたり思い煩うことはないと思うのです。

 イエスは弟子たちの叫びを聞かれ、「起きあがって風と海とをおしかりにな」りました。すると嵐は止んで、波は大凪になったのです。悪霊や病魔を叱って追い出されるだけではない、風や波さえも従わせる、このお方はいったい何者だろう…。弟子たちは驚きました。イエスに恐れの念が生じたのです。彼らは自分たちに襲いかかった大自然の恐るべき力に恐れおののきましたが、それを制圧されたイエスの力を目の当りにしてもっと大きな恐れを感じたのでした。

 主は、正しい恐れを・正しく恐れることを私たちに求めておられます。それは主を恐れることです。主を恐れるとは、主を信頼するということです。主に対する正しい恐れから、主に対する信頼が生まれます(箴言1:7、3:5)。弟子たちは主イエスを信じていなかったわけではありません。ただ「信仰の薄い者よ」と言われたように、彼らの信仰は小さかったのです。その小さい信仰を・主に対する信頼を大きくすることを求めておられたのです。嵐を恐れるのではなく主を恐れることを、主に対する信頼を大きくすることを私たちに求めておられるのです。

 私たちは人生の嵐に遭い、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」、「目をさましてください」と主に訴えることがあるでしょう(詩篇35:23)。私たちの目に眠っているように思われても、主は決して眠っておられるのではなく、いつでも私たちを助ける用意ができておられるのです。主は天と地とそこにあるすべてのものを造られたお方であり、私たちの人生も問題や課題もすべて御手におさめておられるのです。その大いなる御腕をもって、私たちを助け守り支えて下さるのです(詩篇121篇)。

 向こう岸に行く人生航路は、主が行くように私たちを招かれる道ですし、主が共に行かれる道であります。ですから、私たちは平安ですし、安心して進んで行くことができます。信仰の小さな者ですが、その信仰を主に向けて進んでまいりましょう。