今週の聖句 「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」   ルカによる福音書第24章32節

2019年4月21日
説教題 「エマオへの途上で」
聖書箇所 ルカによる福音書第24章13節~35節
説教者 安井 光 師

 イエスがよみがえられた日の午後、二人の弟子たちがエマオに向って歩いていました。二人は三日前エルサレムでイエスが十字架で死なれた出来事を語り合っていました。そこに復活の主イエスが近づかれ、エマオへの道程を彼らと共に歩いていかれました。ところが、弟子たちはそれがイエスだと分かりませんでした。「目がさえぎられて」いたのです。

 弟子たちの目を遮っていたもの、それはイエスに対する間違った理解でした。彼らは自分勝手な要求・願望をイエスに持ちかけては、自分の都合いいように(世直しを行うメシヤとして)イエスを見ていたのです。イエスが十字架で死んでよみがえるということ、そのことを通して自分たちに救いがもたらされるという神の計画が理解できなかった(信じられなかった)のです。成功や幸福の手段としてイエスを見ようとするなら、イエスの十字架を理解できませんし、復活の主イエスを見ることはできません。しかしイエスは、無理解や不信仰という目の覆いを取り除けるために私たちに近づいて下さるのです。

 イエスは二人の弟子たちに声をかけられ、聖書全体からご自分について書かれてある事柄について説き明かされました。弟子たちはイエスの話を聞きながら、段々と心が熱くなってくるのを感じました。氷の塊のように冷たく固くなっていた心は、イエスの御言葉によって次第に暖められ融かされていったのです。エマオに到着し、一緒に食卓についてイエスがパンを祝福して裂いて弟子たちにお渡しになった時、二人の目は開けてそれがイエスであることが分かりました。二人は他の弟子たちと共に、イエスが本当に死からよみがえられたことを互いに確認し合ったのです。

 イエス・キリストの復活は、一部の人々だけが経験した神秘的な体験ではありません。今も復活の主イエスは、聖書の御言葉をとおして、聖霊による臨在をもって私たちすべての人にご自身を顕されるのです。復活のイエスは私たちの肉眼で見ることはできません。しかしイエスは私たちの歩むエマオへの途上(人生の道程)において、聖書の御言葉を語り、また説き明かして下さって、ご自分が十字架の死からよみがえり、今も生きておられる私たちの神、私たちの救い主であることを示して下さるのです。