代償を払う価値ある宝
2003.2.23  礼拝メッセージ  マタイ13:44〜52  園 謙慈牧師 
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高価な価値ある宝を発見した者、天国の招きに応じた霊的賢さを持つ人。
主が語られた譬えの奥義を知ろう。

@畑の宝の譬え
 最高に価値ある宝を発見するプロセス(生き様)は、見つける→隠す→喜ぶ→行く→売る→買うである。
 他人の畑を耕す雇われ人が偶然宝を見つけた。だが、畑の中から出たものは所有者のもの。神の真理である天国の価値(イエス) という宝のある、イエスに支配された畑(人生)を自分のものにするために、彼は持ち物全てを売り払った。
 これは、人から離れて隠れて祈り(その地中に深く埋め戻し)、信仰の決断をし、救いの喜びに満たされ、主を証するために出て行くことを意味する。

A良い真珠の譬え
 当時、天然の良い真珠は非常に高価。商人はそれを買うために他の宝石全てを売り払った。「求め続けてきたものをついに見つけた」という喜びゆえ、どんな犠牲を払ってもよいほど天国には価値がある。

B魚と網の譬え
 あらゆる種類の魚が(どんな人も)、網の中(イエスの元)に招かれている。私たちも主イエスに受け入れられた者である。最も小さい者の一人を主イエスのように受け入れよう。最後に取った魚(人間)の選別作業がある。キリストを宝として生きてきた者に祝福がある。キリスト者は正しい終末信仰に立って全ての行動をしていこう。
 キリストによって地上のものの価値観は転換する(ピリピ3:7〜12)。神の目から見れば、人間一人一人が「高価で尊く、神に愛されている(イザヤ43:4)」。 そのままでは滅ぶばかりの人間を、忍びないと思われる神。神は主イエスの十字架の犠牲によってわたしたちを救おうとされたのである。 わたしたちは神の愛によって自分の価値に気づく。そして神の愛に生きる人は、他者の中にキリストを見出し、人間の価値を知り、キリストのごとく生きる。

C天国のことを学んだ学者の譬え
 新しいもの(新約)と古いもの(旧約)の両方が大事である。 聖書をよく学び、天国の価値を正しく知った人は、宝を持っているようなものだ。 また、地上のものに満足せず、商人のように切に祈り求めていく人は、良い真珠を発見できる。 畑に隠された宝、良い真珠とは、われわれが全存在をかけて求めるイエスのこと。 天国を究極の目標として定め、イエスに従って生きる者は幸いな者である。