【No.1】何によって生きるのか
2002.1.6 礼拝メッセージ マタイ 4:1〜4  園 謙慈牧師

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クリスチャンの生き方、願い求め方。
それらの実際生活のあり方を、聖書のみことばから改めて問い直そう。
@イエスへの誘惑
 サタンは、神の全能さと愛に訴える。
 「石をパンに変え飢えた人々を救えば、それこそ人類の救済ではないか」と。
 パンだけでは人は救われないと、イエスは安易な救いを避けられた。
 神の形に造られた霊なる人が、食物のためだけに生きるのは罪であって、
 それだけだと、霊は死んでいる状態に陥っている。
A失敗のやり直し
 イスラエルは奴隷から解放されたのに、
 苦しみに遭うたびにつぶやいて神の救いを軽んじた。不従順・不信仰の姿である。
 自分中心では神の愛、憐れみは分からない。
 自分の願いが聞かれない時、試練に会う時、
 神が便利でないと思う時、私たちはすぐに不平不満を口にする。
 つぶやいて神に対して罪を犯した(失敗をやり直す)ため、
 イエスはこの世に遣わされた。

B優先すべきもの
 二者択一ではなく、優先順位が問題である。
 パン(仕事)か神のことば(礼拝)か。仕事が優先されると、心は満たされない。
 礼拝を優先するなら神は責任をもち、すべての必要を満たしてくださる。
 あなたは本気で神をあてにしているか。
 私たちは何によって生かされているか。
 信仰が試される時である。
 全ては神から与えられている。感謝して受けよう。

Cみことばによって生きる
 聖書は最大の武器である。神の語られるみことばを100%信じ、従う。
 暗誦し、心に蓄えたみことばにより、すべてのことに対処しよう。
 焦点をみことばに合わせるなら、私たちは「いのち」を与えられる。
 しかし、自分の都合でみことばを利用するなら、そこに「いのち」はない。

聖書を読む力を神からいただこう!
一日の始まりにみことばを求め、与えられたみことばに生かされていこう。