【No.2】神を試みるな
2002.1.13 礼拝メッセージ   マタイ 4:5〜7  園 謙慈牧師

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神を試みることは人間の傲慢である。
神のみことばに従い、生かされ、支えられる本当の満足を得よう。

@第二の誘惑
 サタンは聖書を用いて誘惑してくる。
 私たちはどうであろう。
 自分の都合のよいように聖書を利用していないか。
 みことばは自分に語られていると受け取るっているか。
 優れた賜物を持つ者には「高ぶり」、
 持たない者には「妬み」という、誘惑が仕掛けられる。

A誘惑の問題 1
 手っ取り早さを求める問題。
 「手っ取り早い、楽な方法をしたらどうだ」と誘うサタン。
 せっかちな人は、自分に都合のよい時を「神の時」と勘違いしやすい。
 一方、のんびりな人は、「神の時」を見逃しやすい。

B誘惑の問題 2
 敬虔さを装いつつ、神の主権を侵す罪の問題。
 サタンは自分のやり方で神を動かそうとした。
 みことばに従わないで祈り求めてはいないだろうか。
 自分の思い込みを神の御心と勘違いしたり、
 信じて祈ったのに答えを与えてくださらない神なんて・・・と思う。
 それはサタンの誘惑に陥っているのだ。

C誘惑を退けた理由
 「主なるあなたの神を試みてはならない(マタイ4章7節)」。
 苦しい時の神頼みと言うが、苦しい時の神離れも多い。
 苦しい時に神の徴(しるし)が何もないと不信仰に陥って神から離れる。
 自分によい事が起こるかどうかで神の力を判断し、価値を決めていないか。
 人間が神を測ることは愚かしいことである。
 人間に仕え、よい事をしてくれるのが神だろうか。
 主権は神にあり!
 真の信頼とは、何が起きても理由が分からず納得がいかないことでも、
 神に従い続けることである。ここに祝福がある。

主イエスの十字架こそが神の愛による最大の奇跡!
これぞ「イエスは神」である証明。
この愛を信じて、誘惑を退けよう!