【No.4】人間をとる漁師
2002.1.27 礼拝メッセージ  マタイ 4:12〜22  園 謙慈牧師
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主イエスの宣教と弟子たちの召命。イエスに声をかけられた者は、
どのようにして献身に導かれたのか。
@主イエスの宣教
 ナザレを去ることは故郷との決別を意味する。
 ガリラヤは霊的暗黒の地であった。
 しかし、ここからイエスの宣教(救い)が始められる。
 神を信じない者の心は暗黒であろう。
 神を信じ、従う者はいのちの光を持つのである。
 「天国が近づいた」とは、
 神が今、生きて働いておられるということ。
 今、神を認めない罪を悔い改め、神に向けて方向転換しよう!
 『天国が近づいた(マタイ3章2節)』。
 預言者ヨハネは、旧約の預言である神の裁きを語った。
 主イエスは、福音による悔い改めを宣べ伝えられた。

A献身(広い意味での)
 すべてのクリスチャンが神に招かれている。
 イエスを信じる、だが従わないという信仰はあり得ない。
 信じるとは、すべてを神に献げ、従うことであるから。
 自分の都合を優先させず、従うに妨げとなるものは捨てよう。
 ある者は網を捨て、ある者は舟と父を置き、
 ある者は漁師という職を捨てて、主に従った。イエスに賭けた。
 献ぐとは損得や決まりごと、努力して頑張ることではない。
 神の恵みの世界の中で生じる、
 主に従いたいという心が、献身の思いである。

B従う恵み
 「わたしについて来なさい」
 イエスの恵みの呼びかけに即座に答えることが大切である。
 それは私たちの困難な状況をすべて知った上での招きなのだ。
 招いたからには全責任をもたれるイエスである。
 素直に「はい、従います」と言える人は幸いだ。
 私たちひとりひとりが、主に招かれ、また遣わされている。
 家族、地域、職場、学校、友人関係・・・、
 まさしく、今わたし立つここが働き場である。
 主は今も「役立つ器」を探しておられる。
 私たちを通してなされる主のみわざを見よう。
 
  
何もできない。取り得もない。それでいい。
神がすべての必要を与えて下さる。
神を信じ、人をとる漁師として用いていただこう!