@主イエスの宣教 ナザレを去ることは故郷との決別を意味する。 ガリラヤは霊的暗黒の地であった。 しかし、ここからイエスの宣教(救い)が始められる。 神を信じない者の心は暗黒であろう。 神を信じ、従う者はいのちの光を持つのである。 「天国が近づいた」とは、 神が今、生きて働いておられるということ。 今、神を認めない罪を悔い改め、神に向けて方向転換しよう! 『天国が近づいた(マタイ3章2節)』。 預言者ヨハネは、旧約の預言である神の裁きを語った。 主イエスは、福音による悔い改めを宣べ伝えられた。 |
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A献身(広い意味での) すべてのクリスチャンが神に招かれている。 イエスを信じる、だが従わないという信仰はあり得ない。 信じるとは、すべてを神に献げ、従うことであるから。 自分の都合を優先させず、従うに妨げとなるものは捨てよう。 ある者は網を捨て、ある者は舟と父を置き、 ある者は漁師という職を捨てて、主に従った。イエスに賭けた。 献ぐとは損得や決まりごと、努力して頑張ることではない。 神の恵みの世界の中で生じる、 主に従いたいという心が、献身の思いである。 |
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B従う恵み 「わたしについて来なさい」 イエスの恵みの呼びかけに即座に答えることが大切である。 それは私たちの困難な状況をすべて知った上での招きなのだ。 招いたからには全責任をもたれるイエスである。 素直に「はい、従います」と言える人は幸いだ。 私たちひとりひとりが、主に招かれ、また遣わされている。 家族、地域、職場、学校、友人関係・・・、 まさしく、今わたし立つここが働き場である。 主は今も「役立つ器」を探しておられる。 私たちを通してなされる主のみわざを見よう。 |
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何もできない。取り得もない。それでいい。 神がすべての必要を与えて下さる。 神を信じ、人をとる漁師として用いていただこう! |