【No.5】心の貧しい人の幸い
2002.2.3 礼拝メッセージ  マタイ 5:1〜3  園 謙慈牧師
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山上の垂訓(説教)は一般的にもよく知られている。
しかし、間違って読み取っていることが多い。
今一度、聖書から正しく読み取ろう!
@間違った読み方
 1.道徳・倫理訓として肯定的に読む。
 2.こんな生き方は人間には無理だ、と否定的に読む。


A山上の垂訓の背景
 1.弟子たち(主を信じている者)に教えられた。
 2.モーセの律法にかわるものとして表された。
   「古い律法に縛られるな」とのメッセージである。
 3.クリスチャンの信仰のライフスタイルを描いている。
   
私たちはこのように生きられる。心から信じてイエスに従おう。

B「幸い」とは
 一般的に「嫌なことなく、自分の願望が叶えられること」を幸いという。
 しかし、イエスの説く幸いは次元が違う。
 神を信じるものは痛みや悲しみを通して、神の恵み・真理・深みを知る。
 困難の中でこそ神の祝福が分かるとイエスは教えてくださる。
 幸いとは神の祝福を受け、霊的満足があることである。
C「心が貧しい」とは?
 心が貧しいとは、神が私の内におられないという徹底的な霊の貧しさを
 覚えることである。目に見える世界だけで生きている人は
 霊的に死んだ状態(貧しさをおぼえることすらない)。
 神を意識する者だけが自分の霊的貧しさを知るのである。
 霊的に非常に欠乏している、全くないことに気づいたなら幸いだ。
 神のことばや他者の忠告を素直に聞ける人もまた、
 自らの貧しさを知っている。心の貧しい人には主がその心に臨まれ、
 神の祝福で満たしてくださる。その者は地上においても天国を味わえる。

自分の貧しさを知ろう!
それは自己卑下でなく、神を見上げるチャンス!
神を大胆に求め、真の喜びと平安に与ろう!