【No.7】柔和な人の幸い
2002.2.17 礼拝メッセージ   マタイ 5:5  園 謙慈牧師
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一般に柔和=優しく、人当たりはいい。でもなにか弱々しい感じ。
聖書が語る「柔和」はどうか?
なぜ「幸い」なのだろう?
@「柔和」の意味 
 詩篇37篇に「逆境に耐え、神を待ち望む」姿勢とある。
 怒らず、憤りを捨てる。無力を感じても、求めるものは力ではなく柔和さ。
 この世は、不当な暴力に対して力でねじ伏せようとし、報復を繰り返す。
 しかし、平安や幸いは力で手に入れることはできない。
 「柔和な人は国を継ぐ(詩篇37:11)」
 イエスの言われる柔和は、
 力を用いず、力に頼らず、力ずくで生きないこと。

A地を受け継ぐ者
 地を受け継ぐとは、主にあって柔和な心に変えられ、
 本来の神の目的に添い、この地を支配することである。
 しかし、地上には完全な理想郷はない。
 教会においても、人間的な思いから理想視するなら、
 人間の醜さを見たときに必ずつまずく。かと言って、
 世俗を嫌い、嫌いな人から逃げ、自分の好む環境だけで
 生きることもできまい。
 主の力をいただいて、この地で柔和な者として生きよう。

Bイエスの「柔和」
 ユダヤ人は力ある救世主を待ち望んでいた。
 しかし、力は争いを生じるだけである。
 イエスはこの世の力(『北風と太陽』の北風)に対し、
 かたくなな心を開く愛の柔和さ(太陽)で勝利された。
 柔和な人は、不愉快なことをされても怒らず、仕返しをせず、
 心にゆとりを持って何事にも落ち着いて対応する。
 教会では柔和だが、
 家庭や職場、学校に戻ると柔和さを失ってはいないか。
 教会(日曜)だけの柔和なクリスチャンであってはならない。

すべてを主に委ね、神を待ち望んで生きよう!
その時、主の柔和さが私の心に形造られる。
この幸いに与ろう!