@「柔和」の意味 詩篇37篇に「逆境に耐え、神を待ち望む」姿勢とある。 怒らず、憤りを捨てる。無力を感じても、求めるものは力ではなく柔和さ。 この世は、不当な暴力に対して力でねじ伏せようとし、報復を繰り返す。 しかし、平安や幸いは力で手に入れることはできない。 「柔和な人は国を継ぐ(詩篇37:11)」 イエスの言われる柔和は、 力を用いず、力に頼らず、力ずくで生きないこと。 |
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A地を受け継ぐ者 地を受け継ぐとは、主にあって柔和な心に変えられ、 本来の神の目的に添い、この地を支配することである。 しかし、地上には完全な理想郷はない。 教会においても、人間的な思いから理想視するなら、 人間の醜さを見たときに必ずつまずく。かと言って、 世俗を嫌い、嫌いな人から逃げ、自分の好む環境だけで 生きることもできまい。 主の力をいただいて、この地で柔和な者として生きよう。 |
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Bイエスの「柔和」 ユダヤ人は力ある救世主を待ち望んでいた。 しかし、力は争いを生じるだけである。 イエスはこの世の力(『北風と太陽』の北風)に対し、 かたくなな心を開く愛の柔和さ(太陽)で勝利された。 柔和な人は、不愉快なことをされても怒らず、仕返しをせず、 心にゆとりを持って何事にも落ち着いて対応する。 教会では柔和だが、 家庭や職場、学校に戻ると柔和さを失ってはいないか。 教会(日曜)だけの柔和なクリスチャンであってはならない。 |
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すべてを主に委ね、神を待ち望んで生きよう! その時、主の柔和さが私の心に形造られる。 この幸いに与ろう! |