@憐れみを求める現代人 「私って、かわいそう・・・。」 自分を不幸の主人公にし、他者の憐れみを求めている。 自己中心で、自分さえよければいい。 自分が他者から憐れまれたいだけであって、 他者を憐れみたいのではない。 |
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A世的憐れみと問題点 悪を見逃し、法の正義を曲げ、「自由・権利」を主張する。 自分のしたいことをし、「何でも」許して受け入れる。 そんなことを、世は「憐れみ」と思っている。 人を援助する憐れみもあろうが、そこでは優越感や劣等感が生じ、 受ける側が自立できないという問題も起こり得る。 また、相手の気持ちになって同情したからといって よい結果になるとは限らず、かえって反撃を受け、傷つくこともある。 そもそも他者の心情を心底理解することは、人間には不可能。 |
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B神の憐れみ 神だけが義(正しさ)と憐れみを結ぶことができるお方である。 十字架はその集約である。 神の憐れみは、人間の理解をはるかに超えている。 生まれつきの人間が持ち得ないものである。 神の真実は人の不真実によって左右されることはない。 神は裏切りつづける民をどこまでも赦し、 憐れみを受けるにふさわしくない民を憐れみ愛される。 返しきれない罪の負債。 私たちはイエスの十字架のあながいによって赦されたのに、 仲間のほんの小さな罪をも赦すことができない。 神の憐れみの深さを味わい知りその中に生き続けよう。 |
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主を信じ、みことばを受け入れて従おう。 それにより憐れみに生きることが可能にされる。 この幸いを得よう! |