【No.13】 復活の主の愛に生きる
2002.3.31 イースター礼拝メッセージ  ヨハネ 21:15〜19  園 謙慈牧師
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「互いに愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子で
あることを、すべての者が認めるであろう(ヨハネ13章35節)。」
@神に向かう
 アダムとイブは罪を犯した後いちじくの葉で恥を覆い、隠れた。
 一方ペテロはイエスを拒む罪を犯し、上着で恥を隠したが、
 その後悔い改め、主に近づいた。
 誰にも言えない恥の中で神に会おう。神は私たちを憐れんでくださる。
 主は弟子たちのために食事の用意のなされたように、
 私たちの必要はすべて神が与えてくださるのだ。

A主を愛せよ
 主はペテロの人生に干渉なされた。今も主はみことばを通し、
 私たちの人生に介入なさる。
 「尊いのは、愛によって働く信仰だけである。(ガラテヤ5章6節)
 主はアガペー(無償の愛)をペテロに求めた。
 しかし彼はフィリア(友情の愛)で応えた。
 その彼の精一杯の人間的愛を主は受け止めてくださった。
 人にはイエスの愛は持ち得ない。
 自分の力で愛そうとすることをやめよう。
 神に委ね、愛せる愛をいただこうではないか。
  
B信仰の原点に返れ
 大漁の奇跡はペテロの召命の原点である。
 初心に戻り、自分を見つめなおして主の愛にすがり、
 信仰を回復していただこう。
 自分の罪を知り、認め、悔い改めない限り、神との深い関係は持てない。
 罪や失敗を指摘されても反発しないで、心を閉ざさいで。
 イエスとの関係においてもはや過去の罪にこだわりつづける必要はない。

C教会建設の命令
 「私の羊を養いなさい」とは、教会建設の促しをも含んでいる。
 すべてのクリスチャンは教会の働きに召されている。
 牧師を祈りで支えることも大切な奉仕である。
 各々が教会の働きに加わっていると言う自覚を持とう。
 私たちは神に赦され、愛され、期待されている。
 何かさせていただこう!

復活の主の愛に生かされ、新しい命に生きよう!
自分のためでなく、主のために!