【No.15】 地の塩、世の光として
2002.4.14 礼拝メッセージ  マタイ 5:13〜16  園 謙慈牧師
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主イエスは「地の塩、世の光となれ」と命じているのではない。
あなたがたはすでに「地の塩、世の光なのだ」と語られる。
@「地の塩」
 塩の役割とは、腐敗を防ぐこと、味をつけることである。
 では、「塩」の役割を果たすにはどうすればよいのか。
 1.純度(清さ)を守ること。世との付き合い方に注意しているだろうか。
   「世を友とするのは、神への敵対であることを知らないか(ヤコブ4章4節)。」
   「あなたがたは、この世と妥協してはならない(ローマ12章2節)。」
   一貫した信仰の姿勢が重要である。
 2.自分の姿を消す(自我を失う)こと。
   塩は砕かれ、姿を失うことによってこそ役立つ。
   神を畏れ、救いの喜びを表す無言の証や隠れた祈りによって
   「塩」の役割を果たす。
A「世の光」
 世の人は神から離れ、滅びに向かう深い闇の中で苦しんでいる。
 キリスト者は罪の闇の世界から光の世界へと移された者。
 キリストの光を浴びて反射し、輝くようにされている。
 「光」は暗い場所を明るく照らす。
 自分の頑張りでなく、神に従って生きるとき、私たちは自然に輝いている。
 しかし、キリスト者であることを隠すならもはや私たちの価値はなく、
 教会(燭台)を離れては役に立たない。
 小さな者の集まり(教会)ではあるが、キリストゆえに世を照らす光となる。

B適応 
 キリスト者の良い行いを見て、その背後におられる「神」を世の人は知り、
 崇めるようになる。良い行いとは道徳的なものではない。
 「私はイエスを信じて永遠のいのちをいただいた。」と福音を伝えていくことである。
 「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい(コロサイ4章6節)。」
 あなたの言葉は愛ある塩気が効いているか。
 それとも人間的な嫌味・毒が入っているか。常に自分を吟味せよ。

小さな光しか放てないかもしれない。
しかし、それを必要としている人が必ずいる。
「地の塩・世の光」として、福音を伝えよう!