@「姦淫」とは 神は性欲を否定してはおられない。 イエスもカナの結婚式(ヨハネ2章)を祝福された。 霊は聖く肉体は汚れという二元論でもなく、 禁欲、純潔が尊いのでもない。神は性的不道徳を忌み嫌われる。 パリサイ人・律法学者は、実際に行わなければよいとしたが、 たとい実行しなくても、心の中で情欲を持つならば、 心は汚れ、罪へとつながる。 内面の清さを求めるように、イエスは促される。 |
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A誘惑はどこからくるのか パリサイ人、律法学者は、誘惑は外から来ると考えた。 女は誘惑する罪の原因と。 だが、心の中に誘惑の温床となる欲望が潜んでいる。 誘惑の原因を取り除くのは容易ではないが、 そのまま放置しておくなら、やがて破滅に至る。 現代は恐ろしくモラルが低下し、罪の意識が麻痺した時代である。 誘惑の芽が小さいうちに速やかに取り除き、永遠のいのちに備えよう。 |
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B離婚について 夫による身勝手な離縁状は無効。 イエスは聖なる結婚を重んじられた。 離婚は神のみこころではない。 幸せな結婚生活、家庭作りを目指していながら努力はせずに、 それを求める夫婦が多いのではないだろうか。 お互いの勝手な心が問題である。 なぜ、イエスはここまで厳しく語られるのだろうか。 私たちが内面の醜さに気づき、 へりくだって神の憐れみを求めるように導いておられる。 |
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主なる神を中心とし、夫婦は真実に愛し抜こう。 愛と平和に満ちた結婚生活を築くことが神のみこころである。 |