【No.19】人の不真実と神の真実
2002.5.12 礼拝メッセージ   マタイ 5:33〜37  園 謙慈牧師
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反対命題の一つ。「一切誓ってはならない(マタイ5章34節)」という
イエスの言葉を、どのように理解、適応したらいいのだろうか。
@人の不真実
 偽り誓うな、口でも誓約は守り行え。偽りの誓い、誓いの不履行の禁止。
 誓いの動機と内容が問題である。日本人は誓約を形式に捉らえ、建前に
 過ぎないと軽んじる傾向があるが、ユダヤ人は神を証人として、事毎に
 誓ってきた。主はその偽善を見抜かれて、禁止されたのである。
 私たちは、神の前での誓約を、忠実に守っているだろうか。
 
A誓いの問題点
 必要が無いのに誓ったり、天や地、その他を指して誓うなど、
 「主の名をみだりに唱えてはならない(申命記5章11節)」という戒めを
 悪用していた。敬虔を装い、その実態は自分の頭(自分の誠実さ)に
 かけて誓うという、神を恐れない高慢な態度である。
 人は神によって造られた者にすぎない。
 神を畏れ、軽率な誓いを慎もう。
B神の真実
 人は自分の頑張りで約束を果たし、自分を正しいと見ようとする。
 しかし約束しても、守れないことがあるという弱さを認めないなら、
 自分にも少しは真実があると思うなら、神の真実は分からない。
 また、分からない者には求められない。
 自分の不真実に愛想が尽き、初めて神の真実に信頼できる。
 自分の真実ではなく、受け入れ、愛してくださる神の真実にかけて誓う。
 神を畏れ、神のみことばを然りと受け止める時、真実な者に変えられる。

愛をもって真理を語るイエス。祈りの沈黙を通してイエスの愛を
私たちの内に満たしていただこう。