【No.21】人の完全と神の完全
2002.5.26  野外礼拝メッセージ  マタイ 5:38〜48  園 謙慈牧師
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イエスは、私こそ完全だと思い込んでいた人々にショックを
与えた。神の完全とは何か、霊的真理を探り知ろう。
@人の考える完全
 時代背景を考え、真理を読み取り、律法の正しい精神を知ろう。
 1.「目には目を、歯には歯を(マタイ5章38節)」とは、
   受けた以上に復讐する人間の罪性ゆえに、
   歯止めとして与えられた律法。
   復讐を許すものでもなければ、神のみこころでもない。
 2.「隣人を愛し、敵を憎め(マタイ5章43節)」
   隣人を愛するだけの、寛容さを指摘するイエス。
   人間の考える完全は、自分に都合のよい狭い完全であり、
   それは神(愛)抜きの不完全なものである。
 規則より思いやりを大切にしよう。
 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』
 (マタイ9章13節)

A神の完全(愛による完全)
 赦すこと、愛することは、生まれつきのままの人間にはできない。
 父なる神は、相手によって態度を変えられることをせず、
 悪人であっても恵みを施される。
 だが、私たちは相手の応答次第で反応が変わる。
 神はご自分を憎む者のために命を捨ててくださった。
 キリスト者は神の完全を追及して生きよと、促されている。
 自我の強情さ、プライドの高さ等、自分へのこだわりを捨てよう。

B神の愛の完全に生きる
 好きという感情ではなく、意志によって愛そう。
 相手を認め、相手に関心を持ち、相手を尊敬する。
 愛することの第一歩はあいさつ(心を開くこと)から。
 ユダヤ人のあいさつ【シャローム】は、相手の祝福を祈ること。
 神の愛は祈りによって与えられる。
 今、赦せない愛せない相手がいるなら、神に素直に祈ってみよう。
 神の完全とは、完全無欠ではない。
成熟するということだ。
 神から与えられる「神の愛」によって、完成されていくのである。
 

神の愛を祈り求めよう。!