【No.24】真実な祈りを
2002.6.16 礼拝メッセージ マタイ 6:5〜8  園 謙慈牧師
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「祈れないのは祈ろうとしない」からである。
祈りは能力ではない。
祈りを学ぼうとする姿勢から、祈りの世界が開かれる。
@間違った祈り方
 1.律法学者ら…熱心さが「偽善」になっている彼ら。
   人から「あなたの信仰は立派」と言われたい。
   しかし、祈りとは神に向かうものである。
 2.異邦人…くどくど祈る彼ら。苦しい時の神頼みのみ。
   「あれほど祈ったのに・・・」願いが聞かれないと嘆く。
   神を自分の思い通りにしようとする祈りは不遜である。
 3.「携帯電話式祈り」…自分の都合で【スイッチオン】。
   一方的に自分の願いを祈り、祈り終われば
   邪魔だとばかり【スイッチオフ】。
   的外れな祈りである。

A正しい祈り方
 正しい祈りとは、先ず聞くことである。
 沈黙がなければ、静かにしなければ、
 神のみ声は聴こえない。
 神の意思を尊び、謙遜に願いを述べる。
 人目を避けて祈られたイエスのように、
 静かな時間を作ること、
 密室を作って祈ることは重要である。
 沈黙のうちに神との対話、交わりがあり、神と繋がれる。
 静かな心で耳を傾け、
 神の声を聞き、神に語りかけているか。

B信仰のようで違うもの
 
1.「みこころならそうしてください。後はお任せします」
   謙遜に見えるが、答えを得るまで祈り続ける
   忍耐と切実さ欠ける祈りである。
   そこには訓練も成長もない。
 2.自己本位・幼稚な祈り
   熱心に祈るけれど、自分の願いに固執する。
   「あれほど熱心に祈ったのに・・・」と
   不信仰に陥る。

C祈りの基本的要素
 神に真実に向かえば向かうほど、
 自分の醜い内側を見ずにはいられない。
 互いに赦し合おう。他者を赦そう。
 私たちは罪人。しかし神は赦してくださった。
 「他者を赦し、愛せる者に変えてください」と祈るなら、
 神は変えてくださる。

聖霊によって祈り、神のみ旨に従って願い求めよう!
祈りによって、神の愛の広さ深さを知らせていただこう