@地上に宝をたくわえるな 1.地上の宝とはなんだろう? 高価なもの、美しいもの、魅力あるもの。 金銀・財宝だけでなく、人の心を惹きつけるもの、 これで命は大丈夫だろうと思えるものすべて、 地上の宝である。 2.地上に宝をたくわえる生き方とは? ひたすら積み上げ、それを失うことを恐れる生き方。 そのような生き方は空しい。 それらはみな「虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出 (マタイ6章19節)」され、無駄になる。 神をさしおいて、衣食住のことであくせくしてはならない。 【聖書の人物の例】 ・ロト…………ソドムで金を儲け、町の有力者となったが、 一瞬にして町が滅びると、 彼の名声・財産は意味のないものとなった。 ・ロトの妻……残してきた財産に執着して身を滅ぼした。 ・富める青年…神を神とせず、財産を偶像としていた。 イエスに促されても 彼はそれを手離せなかった。(マタイ19章16〜22節) 状況次第で価値が変動するものに依存すると、 いつか必ず失望する時がくる。 限りあるものに執着してはならない。 |
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A天に宝をたくわえよ 私たちは本当の意味で賢くなり、 なくならない所(天)に宝を蓄えねばならぬ。 空しい宝への執着を断ちたいと心から願うなら、 本物の神によって心が満たされる以外ない。 [具体的な心のあり方] 1.心の方向 私たちの心は一体何に関心を持っているだろうか。 神のことか、この世のことか。 この世のものはすべて神が与えて下さったもの。 それらは決して悪いものではなく、 神を神として礼拝する限り、喜び楽しんでよい。 しかし、地上のものが神より大事にされ、 心を占領されてはならない。 私たちの心が向けられる所に宝がある。 この世のものに占領されないためにも天を見上て、祈ろう。 2.心の目の付け所 澄んだ目は焦点が合わされて一つに見えるが、 悪い目は焦点が合わされず、ダブって見える。 目は心の窓であり、関心のあるものに向けられる。 心の目は神に向けられ、焦点が合っているか? 神(天の宝)に焦点が合えば明るく、 地上の宝に焦点が合えば暗くなる。 3.仕える相手 お金を神として礼拝する拝金教(マモニズム)は 世界最大の宗教である。 私たちは二人の主人に兼ね仕えることはできない。 (マタイ6章24節) 神か金か、必ずどちらかを選ぶことになる。 世の宝を持っているようであっても、 神から預かっているにすぎない。 人は所有者ではなく、神から任されている管理者であって、 与えられたものを有効に用いることを託されている。 |
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私たちを「自分の宝の民」として愛されるイエス。(申命記14章2節)
私たちもまたイエスを自分の宝として、 託されたものを神のために有効に使い、天に宝をたくわえよう。 |