【No.26】天に宝をたくわえよ
2002.6.30 礼拝メッセージ マタイ 6:19〜24  園 謙慈牧師
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「私たちの宝について」―たくわえるな(消極的側面)、たくわえよ(積極的側面)。
信仰生活の具体的指針を主イエスから学ぼう。
@地上に宝をたくわえるな
 1.地上の宝とはなんだろう?
   高価なもの、美しいもの、魅力あるもの。
   金銀・財宝だけでなく、人の心を惹きつけるもの、
   これで命は大丈夫だろうと思えるものすべて、
   地上の宝である。

 2.地上に宝をたくわえる生き方とは?
   ひたすら積み上げ、それを失うことを恐れる生き方。
   そのような生き方は空しい。
   それらはみな「虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出
   (マタイ6章19節)」され、無駄になる。
   神をさしおいて、衣食住のことであくせくしてはならない。

 【聖書の人物の例】
  ・ロト…………ソドムで金を儲け、町の有力者となったが、
            一瞬にして町が滅びると、
            彼の名声・財産は意味のないものとなった。   
  ・ロトの妻……残してきた財産に執着して身を滅ぼした。
  ・富める青年…神を神とせず、財産を偶像としていた。
           イエスに促されても
           彼はそれを手離せなかった。(マタイ19章16〜22節)

 状況次第で価値が変動するものに依存すると、
 いつか必ず失望する時がくる。
 限りあるものに執着してはならない。

A天に宝をたくわえよ
 私たちは本当の意味で賢くなり、
 なくならない所(天)に宝を蓄えねばならぬ。
 空しい宝への執着を断ちたいと心から願うなら、
 本物の神によって心が満たされる以外ない。
 [具体的な心のあり方]
  1.心の方向
    私たちの心は一体何に関心を持っているだろうか。
    神のことか、この世のことか。
    この世のものはすべて神が与えて下さったもの。
    それらは決して悪いものではなく、
    神を神として礼拝する限り、喜び楽しんでよい。
    しかし、地上のものが神より大事にされ、
    心を占領されてはならない。
    私たちの心が向けられる所に宝がある。
    この世のものに占領されないためにも天を見上て、祈ろう。

  2.心の目の付け所
    澄んだ目は焦点が合わされて一つに見えるが、
    悪い目は焦点が合わされず、ダブって見える。
    目は心の窓であり、関心のあるものに向けられる。
    心の目は神に向けられ、焦点が合っているか?
    神(天の宝)に焦点が合えば明るく、
    地上の宝に焦点が合えば暗くなる。
    

  3.仕える相手
    お金を神として礼拝する拝金教(マモニズム)は
    世界最大の宗教である。
    私たちは二人の主人に兼ね仕えることはできない。
     (マタイ6章24節)
    神か金か、必ずどちらかを選ぶことになる。
    世の宝を持っているようであっても、
    神から預かっているにすぎない。
    人は所有者ではなく、神から任されている管理者であって、
    与えられたものを有効に用いることを託されている。
    
私たちを「自分の宝の民」として愛されるイエス。(申命記14章2節)
私たちもまたイエスを自分の宝として、
託されたものを神のために有効に使い、天に宝をたくわえよう。