【No.29】求める者に与える神
2002.7.21 礼拝メッセージ マタイ 7:7〜12  園 謙慈牧師
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何を求めるべきか。どういう求め方をすればいいのか。
主イエスの意図を正しく知り、実践させて頂こう。
@何を求めるべきか
 最も必要なものを求める。
 テキストと並行してルカ11章を開いてみよう。
 友に3つのパンを求める人のたとえから、求めることは祈りであり、
 激しい切なる祈りであることがわかる。私たちは罪で目をふさがれているから
 神の真理が分からない。しかし、分からないなりに祈り求めていく時に
 神の真理を知る。勘違いしてはならない。「何でも欲しいものを
 手当たり次第求める」のではない。神を求めようと意識しないならば、神を見失う。
 素晴らしい世界に生きて欲しい、生きられるようにしてあげようとイエスは言われる。
 その約束のみことばを信頼する時、自分の最も必要とするものが見えてくる。
 それは神の無償の愛(アガペー)であり、愛、喜び、平安・・・という御霊の実
 (ガラテヤ5章)である。

 
Aどのように求めていくべきか
 執拗に、切実に、熱心に求める(祈る)。
 ルカのたとえから、この人の祈りが旅人のためだと分かる。
 祈りの本質は、他者を思いやること。神を第一とする時、私たちの目は
 他者に向けて開かれ、その人の必要に気づかされる。そこで愛の実践がなされる。
 天の父との関係が正されていくなら、祈りが変られていく。「求めなさい」の真意は、
 他者のために生きる(祈る)こと。神のあわれみによって、自分本位という
 罪の本質の生き方から、他者本位という神の恵みの内に生きるように変えられる。
 しかし、私たちが願ったとおりに聞かれる祈りが本当に最善であろうか?
 祈りに対する5つの答えがある。私への神の答えはどれに当てはまるだろうか。

 1. 即答→祈ったことがすぐ聞かれる。
 2. 拒絶→自己中心、不信仰な祈りに対して。
 3. 遅延→待たされるので、忍耐が必要となる。
 4. 予期しない別の答え→真実な祈りであろうとも
    神のみこころと違う場合、別のものが与えられる
 5. しばしの沈黙→だが、神に祈りは聞かれている。

B誰に求めるべきか
 神とは人間の父親のような方である。親は子供のことを考え、
 何が子供のために必要か考え、最も良いものを与えるはずである。
 神は親以上に、最高・最善のものを与えたいと願っておられ、すでに備えておられる。
 自分の弱さを認め、へりくだって神に求めよう。人生の悩みの解決も神に求め、
 神からすべてのものを頂いて、神のすばらしい恵みの世界に生きよう。

父親以上に私たちを愛す神。最善を与えようと待ち構えておられる神に、
諦めず継続して祈り求めよう。