@何を求めるべきか 最も必要なものを求める。 テキストと並行してルカ11章を開いてみよう。 友に3つのパンを求める人のたとえから、求めることは祈りであり、 激しい切なる祈りであることがわかる。私たちは罪で目をふさがれているから 神の真理が分からない。しかし、分からないなりに祈り求めていく時に 神の真理を知る。勘違いしてはならない。「何でも欲しいものを 手当たり次第求める」のではない。神を求めようと意識しないならば、神を見失う。 素晴らしい世界に生きて欲しい、生きられるようにしてあげようとイエスは言われる。 その約束のみことばを信頼する時、自分の最も必要とするものが見えてくる。 それは神の無償の愛(アガペー)であり、愛、喜び、平安・・・という御霊の実 (ガラテヤ5章)である。 |
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Aどのように求めていくべきか 執拗に、切実に、熱心に求める(祈る)。 ルカのたとえから、この人の祈りが旅人のためだと分かる。 祈りの本質は、他者を思いやること。神を第一とする時、私たちの目は 他者に向けて開かれ、その人の必要に気づかされる。そこで愛の実践がなされる。 天の父との関係が正されていくなら、祈りが変られていく。「求めなさい」の真意は、 他者のために生きる(祈る)こと。神のあわれみによって、自分本位という 罪の本質の生き方から、他者本位という神の恵みの内に生きるように変えられる。 しかし、私たちが願ったとおりに聞かれる祈りが本当に最善であろうか? 祈りに対する5つの答えがある。私への神の答えはどれに当てはまるだろうか。 1. 即答→祈ったことがすぐ聞かれる。 2. 拒絶→自己中心、不信仰な祈りに対して。 3. 遅延→待たされるので、忍耐が必要となる。 4. 予期しない別の答え→真実な祈りであろうとも 神のみこころと違う場合、別のものが与えられる 5. しばしの沈黙→だが、神に祈りは聞かれている。 |
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B誰に求めるべきか 神とは人間の父親のような方である。親は子供のことを考え、 何が子供のために必要か考え、最も良いものを与えるはずである。 神は親以上に、最高・最善のものを与えたいと願っておられ、すでに備えておられる。 自分の弱さを認め、へりくだって神に求めよう。人生の悩みの解決も神に求め、 神からすべてのものを頂いて、神のすばらしい恵みの世界に生きよう。 |
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父親以上に私たちを愛す神。最善を与えようと待ち構えておられる神に、 諦めず継続して祈り求めよう。 |