【No.30】滅びの門と命の門
2002.7.28 礼拝メッセージ マタイ 7:13〜14  園 謙慈牧師
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@「狭い門」に対する誤解
 イエスさまは信仰の決断を促すために、「狭い門から入れ」と言われる。
 しかし、その言葉を人間的に理解すると真意が分からなくなる。
 「一つの門へは安楽な道。遊んで楽しむ生活の果ては地獄。
 もう一つの門へは厳しくつらい道。天国に行くためには苦しんだ方がいい」。
 こういった間違った理解をしてはいないだろうか。
 門の「狭さ・広さ」を自分で決め、自分の将来も決めてしまう。
 苦労して厳しい競争をくぐりぬけて出世することが狭き門ではない。
 
A二つの門とそこに至る道の違い
1.「滅びに至る門は大きいが、命に至る門は狭い」
 「大きい」とは、制限がないほど大きいということ。
 通るのに「決断」する必要がないし、苦労することもなく自由に入れる。
 自分はなぜ生きているのか、どこへ行こうとしているか、と問うこともない。
 一方、「狭い」とは、身をかがめてへりくだらなければ入れないほどの狭さ、
 小ささのこと。
 心の中に余分なもの(プライド)を抱えている人は、その門を通れない。

2.「滅びにいたる道は広いが、命に至る道は細い」
 門は通過点に過ぎない。教会に来て、イエスさまを信じて洗礼を受ける。
 この洗礼を受けることがゴールのように思う人が多いのである。
 せっかく狭き門(洗礼)を通ったのに、また広い道に戻ってしまう。
 日本人クリスチャン信仰寿命(洗礼を受けてから教会を去るまで)はたった3年。

3.「滅びに至る門を通る人は多数。命に至る門を通る者は少数」
 ここでいう「多数」とは、「圧倒的に多い」という意味。
 また、「少数」とは、「非常に稀で、ほとんどいない」という意味。
 信仰のないものが「広い門」、キリスト者が「狭い門」を通るのではない。
 「自分たちは信仰の厳しい道を歩んでいる」と自負を持っていた
 律法学者・ パリサイ人は、聖書を学問として学ぶだけで、
 「神に向かう心」が欠けていた。
 聖書のみことばを自分に当てはめない傲慢さが自分の中にありはしないか。
 「今、あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。」
 (ヨハネ9:41)
 狭い門(信仰の決断をする)をくぐり、細い道(信仰によって生きる)を歩もう。

B門を狭くさせる二つの側面
1. 人間の側での「狭さ」
 人間は神に背く原罪を持っている。それゆえ神を好まず、否定し、邪魔者扱いする。
 当然、クリスチャンにもある。周囲の人と同歩調に生きないと悪いような気がしたり、
 自分だけがクリスチャンということに心細く、不安になる。
 人間は妨げのない広い道(大衆が喜ぶ道)を好み、安易に楽しく得になることを求める。
 また、「その門は入れないほど狭い」「歩けないほど道が細い」とか勝手に決めつける。

2.神の側での、「救い」という狭さ
 「この人(イエス)の名による以外に救いはない(使徒行伝4:12)」
 「私は門である。私を通って入る者は救われる(ヨハネ10:9)」
 「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは、
 父のみ元に行くことはできない(ヨハネ14:6)」
 イエス・キリストによる十字架の救いの門は、全ての人に開放されている。
 命に至る道も備えられている。それにもかかわらず「見い出す者が少ない」。
 だから私たちが見つけることができるように聖霊を遣わしていて下さる。
 主は招いておられるのだ!

C「狭き門」への入門方法
 私たちの努力ではない。
 私は「神のみ前に罪人である」「罪からの救いを必要としている」と認めること。
 イエスを自分の救い主として信じることだけである。
 自分の頑張りで行いを改め、自分勝手な信仰で、
 「これで天国に行ける」との自信を持つなら、滅びの門へ向かっている。
 「主よ、私は罪人です。私の罪を赦してください」との謙遜な悔い改めの態度が
 門をくぐる条件なのだ。
 過去だけではなく、今も、そして日々悔い改めること。
 主の恵みと愛にすがりつきつつ、謙遜に自分の罪を認め続けていくこと。
 へりくだることなしに、狭き門をくぐることはできない。

D今、決断が迫られている。どうするか。
1.可能性のある道をリストアップ
2.一つ一つの長所・短所を書き出す
3.神のみこころ(聖書の原則)を書き出す
4.神のみこころにそぐわないものを除外していく
5.神のみこころに添う道が二つ以上ある場合、
  牧師や信仰の確かな信徒に相談し、祈ってもらう。
神のみ旨を確信したならどんなに苦しい道であっても、神に祈り、助けを頂いて歩き続けよう。

悪魔の誘惑に負けないで、主イエスと手を取り合って、
へりくだりつつ、祈りつつ、信仰の生涯を全うさせて頂こう。