【No.31】台無しの人生にしないために
2002.8.4 礼拝メッセージ マタイ 7:24〜29  園 謙慈牧師
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人生には嵐のような様々な出来事がある。
聖書のみことばに聴き従ってきた者は自分の全存在を支えとする土台を持つが、
みことばを聞いても聞き流し信頼してこなかった者は何の土台も持たない。
「今まさに人生の岐路に立っている」と信じ、今、信仰の決断をしよう。

@ 我々の人生には二つの土台がある
しっかりした土台を持とうと私たちは「地を深く掘(ルカ6:48)」る。
しかし、多くの人は見えるところだけで判断してしまう。
地中を掘り下げ岩を探るが、すぐに見つからないので諦めて、
自分が良いであろうと思うところ(砂の上)に建ててしまう。
賢い人は、自分(人間)の知恵に頼らず、神の知恵に頼る人。しかし、
だれも初めから「岩」が見えているわけではない。
天国に入る者とは「私のこれらの言葉を聞いて行う者」と主イエスは語られた。
「口で言うだけの者」でなく、「父のみ旨を実際に行う者」だけが天国に入る。
信仰熱心に見えても、主のみことばをきいて実践しなければ無意味である。

A台無しの人生にしないために(岩の上に土台を置く)
みことばを掘り下げることが重要である。
1. みことばを愛し、聞く人になる
聖書を読む時、礼拝メッセージを聞く時、
今、生きておられるイエスが語っておられる、と受け止めて聴く姿勢。
牧師ではなく、牧師を通して語られる「神の言葉」として聴いてるだろうか。
私たちをこよなく愛してくださるイエスが語る言葉をもっと愛をもって聞こう。

2. みことばを行う人になる
聞いて「行う者」。「聞くだけでなく、行う人になるように(ヤコブ書)」。
主を愛するなら、みことばを実行させて頂きたい、という思いにされるはず。
その時、聞いて従順に従えるよう、聖霊を送ってくださる。
信仰生活の長さではなく、みことばを「人生訓」として聴くか、
「親しい愛の言葉」として聴くかで、違ってくる。

3. みことばを信頼する人になる
語ってくださるお方は、どういうお方であろうか。
人格ある生ける神だと認識できておられるか。
「とことん御言葉に頼る」のが、真の信仰の姿。
「永遠の命の言葉を持っているのはあなたです」。みことばには権威がある。
主は「深い」ところで、今もひとりひとりと関わっていてくださる。
だから、私たちもみことばを深く掘り下げよう。
もっと主を信頼し、みことばに頼っていこう。
大胆に天の父に求める者には、聖霊が豊かに与えられる。

岩の上を土台とする人生は、主の愛のみことばに信頼し従う生き方である。
これこそ確かな人生!