@ 聖書の「権威」とは 「何にも妨げられない所に立つ」「何にも束縛されずに、自由に振舞う」という意味で、 自由や可能性を表す。イエスの権威は、天(神)から与えられた特別な権威。 |
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A 中風の人とイエスとの出会い 寝たきりで、自分ではどうすることもできない絶望の状態であった彼には良い友人がいた。 群集がびっしりいる中に、寝たきりの病人を連れて行くことは不可能に近い。 しかし、友人らはイエスの癒しを信じ、なんとかして病の友を運んできた。 ここに他者をとりなす信仰の模範的姿を見る。他者の苦しみを自分の苦しみとする、 身近な者の救いを信じ、祈り続け、時が来たら行動に移す。 マルコ書では、「屋根をはがして病人を降ろした」とある。 イエスは「彼らの信仰(病人の信仰ではなく、友人らの信仰)」を見た。 「子よ」―愛の呼びかけ。「しっかりしなさい」―勇気を持て、確信を持て。 「あなたの罪は赦された」―罪の赦しの宣言。 すべての人間は神の前に罪を犯している。 この世における社会的犯罪者ではなくても、「神を信じない」「神を必要としない」罪。 たとえこの世で良い人間であろうと人間が人間らしく生きるという、 本来の人間回復には心の奥底に隠された罪が赦されることが必要。 人は生まれつき罪を持っている(原罪)ゆえ、神との和解が必要。 心の罪の問題が解決されない限り本当の癒しはない、ということをイエスは知っていた。 「因果応報」をイエスは否定する。罪の赦しを得てこそ、本当の命を回復できる。 「神と共に生きること」を神ご自身が強く望んでおられる。 |
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B「罪の赦し」とは何か 「許容」―痛みを伴わない許しであり、簡単に受け入れられるもの。 「赦し」赦免―赦し難いものを赦すので痛みを伴い、また犠牲が必要なもの。 イエスは「無条件に赦されている」と言われた。 一方的な神からの赦しが私たちに与えられている。 人間の側の条件としては、「素直に信じること」だけ。 |
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C3通りの反応 1. 中風の人 自分の心の罪を素直に認め、罪の赦しを信じた。 「起きよ、床を取り上げて家に帰れ」との言葉に素直に従った。 2. 律法学者たち 「イエスは神を冒涜している」という正論。 彼らは、自他共に認める善人であり、模範者、優等生、常識人。 だが、イエスは、「なぜ心の中で悪いことを考えているのか」とお叱りになった。 正論なのに、何が悪いのか? 「罪の赦しを否定したこと」。自分らは罪などないと決め込んでいた。 クリスチャンでも、罪の赦しに対して慣れてしまう恐れがある。 「自分は神の前になんという罪人か」ということが分からないなら、 神の罪の赦しの有り難さが分からない。 3. 群集 鮮やかな奇跡を見、イエスの力に驚嘆した彼らであったが、イエスをすぐれた 人間としてしか見ていなかった。そしてイエスは彼らと迎合することは決してなかった。 群集に向かって語っているようであるが、常に一人一人個人的に語るイエスは、 今日の礼拝メッセージにおいても、私たちの一人一人に対して語っておられる。 「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と。 自分に対して語られていると信じて、イエスの言葉を素直に受け入れよう。 |
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人間が本当の意味で変わることができるのは、心の奥底に隠している 自分の罪の大きさが本当に分かり、それを赦す神の赦しの大きさが分かった時である。 |