【No.39】 主の働き人、募集中!
2002.9.29 礼拝メッセージ マタイ 9:35〜38  園 謙慈牧師

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実りの秋・収穫の秋である。霊的魂の収穫の時でもある。
「収穫は多いが、働き人が少ない」。
イエスの嘆きは、私たちに悔い改めを促し、新たな献身を求める。

@ 主の働き人の3つの資質
1. イエスと同じビジョンを持つこと
神の元にいない人間は、表面的には満たされているように見えても、
内面は違う。「自分の生活に忙しくて余裕のない人」、「自分を
中心としている人」は、人々の「霊的欠乏の渇き」を読み取れず、
伝道の熱意を持てない。
「目を上げて畑を見よ、はや色づいて刈入れを待っている」。イエスと
同じ幻を見よう。救いを求めている人々が、確かに身近にいるのだ。
2. イエスと同じ愛の心を持つこと
「憐れみの心」は、最も必要な資質である。
「憐れみ」とは、はらわたに痛みを覚えること。
「愛のない冷たい心の持ち主」には、働き人は務まらないのである。
3. イエスと同じ忍耐を持つこと
人間本来の愚かさ・かたくなさ・無知ゆえに、伝道してもなかなか
信じてもらない、話さえ聞いてもらえないので、諦め、そして切捨ててしまう。
しかし、主は決して諦めず、忍耐をもって伝道を続けられた。

A 主の働き人の日常生活のあり方(第2テモテ2:3〜6)
1. イエスの良い兵卒として日常生活を送る
私たちクリスチャンは教会が拠点である。厳しい戦いの苦しみを共にしよう。
何よりも日常生活に煩わされないこと、司令官イエスを喜ばせること。
なぜなら、私たちはキリストの兵士であるから。
「戦うために主から召されている」という自覚をもっているか?
2. 競技する者として日常生活を送る
「規定に従って」とは、自分勝手でなく、聖書のみことばに基づくこと。
競技者のように節制・自制し、日常的な自己訓練を欠かさない。
それも、いざという時(競技)のためなのである。
3. 労苦する農夫として日常生活を送る
労苦を惜しむと実りが少なく味も悪い。収穫のためには手間が必要。
農夫は刈り入れを楽しみに多くの手間をかけ、育てる。
主のために労苦し、農夫のような教会生活を私たちが続けていくなら、
必ず良い収穫が期待できる。

B 主の働き人への参与
1. 悔い改め
・ 働き人が必要なことに気づいていなかった
・ 自分の生活に明け暮れていた
・ 伝えていても、ただ語ることだけで満足していた
・ いくら語っても伝わらないため、諦め、切捨てていた(不信仰)。
2. 信仰
・みわざをなすのは「イエス」であって、私ではない。
「すぐ伝道に出かけよ」とではなく、「まず、祈りなさい」と主は言われる。
まず祈り、主の心を知り、人の心を知ろう。
・なぜ私が家族の中で最初に救われたのだろうか?
主は働き人としてあなたを召され、遣わされておられる。
主への献身を決意し、それぞれの持ち場・立場において働かせて頂こう。
「ここに私がおります、私をお遣わしください」。

身近な者が救われていないのに見過ごす愛の無さを悔い改め、
祈りによって霊に飢え渇く人の幻を見させて頂こう。
ただ主の恵みと憐れみによって救いはなされる。
私たちが人の信用を得、良い評判を得ているなら、
家族、友人、知人を教会に誘ったら、喜んで共に来てくれるだろう。
普段の状態が大切なことを心に留め、主の憐れみを求め、信じて
真剣に祈りつづけよう。