【No.40】 平安を伝える使者として
2002.10.6 礼拝メッセージ マタイ 10:1〜15  園 謙慈牧師

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弟子とはイエスを主として学ぶ者。使徒とはイエスから派遣される者。
「クリスチャンは小さなキリスト」とルターは言っている。私たちは、
今いる生活の場へ平和の使者として遣わされているのだ。

@ キリストの平和の使者としての「任命」
イエスは徹夜で祈って12使徒を選び、弟子訓練のためご自分の
身近に置き、キリストの平和を伝える使者として整えられた。
12弟子のほとんどがガリラヤ人(異邦人の町、と蔑まれていた)で、
取税人や漁師などの普通の人の集まり。また、3分の1は無名の
人々。多種多様な性格の彼らは理想的な集団でもなく、能力が
あったわけでもない。だが、神の選びは人間の資質にはよらず、
そういう者をあえて選んでくださる。
「無きに等しい者をあえて選ばれた(第一コリント1-28)」。
そういう者が集められ、一致させられ、平和を伝えるために出て行く。

A キリストの平和の使者としての「任務」
1. 働きの範囲の限定(一時的な限定)
「イスラエル…へ行け。異邦人、サマリヤへ行くな」。同国人に働きを
限定したのは、経験のない弟子たちに配慮したためであった。
伝道には「主の時」がある。まず、自分の身近な者(家族・親族・
友人・知人)に伝えよう。
2. 働きの内容
「病人を癒し、死人を生き返らせ〜」という徴により、神の国が近づいた
ことを知らせる。祈りによって主から力を与えられ、へりくだって神の
真理を伝えていく。
3. 働きの経済的原則
神から好意として「ただで」与えられたのだから、「ただで」与えよ。
必要最低限度のシンプル・ライフを勧める。しかし、主のために働くなら、
報酬を受けるのは当然。主を愛し、目に見える兄弟を愛し、助け合おう。
4. 働きの拠点
神の平安を祈る挨拶。相手のために祈り、イエスを伝えることが伝道。
クリスチャンの中に神の平和が満ち溢れているなら、自然に伝わるはず。
平安を最も求めている者(所)に行き、「ここに救いがあります」と勧めよう。

B福音宣教の急務
平安を最も必要としている者が、全て受け入れ信じるわけではない。
伝えられたにもかかわらず信じないなら、責任はその人のもの。
私たちクリスチャンが本当に「福音に生きている」か?地上的な物事に
支配されていないだろうか?福音の恵み、罪赦された喜び、神の憐れみ
による永遠の命を知っているなら、身近な者になんとかして伝えたいと
思うはずである。世界を見ると、神の救いのわざも最終段階に入っている
ことが分かる。福音宣教の急務を自覚し、「祈り」「捧げ」「証する」という
大切な使命を果たそう。

伝道の壁に突き当たっても諦めないで、神に信頼し、神の栄光を表そう。
平安を伝える使者として遣わされていることを自覚し、日々伝える者となろう。