【No.41】 賢さと素直さをもって
2002.10.13 礼拝メッセージ マタイ 10:16〜23  園 謙慈牧師

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信仰には戦いがある。この世の人から見れば、クリスチャンは異物であろう。
「私(イエス)の名のゆえにすべての人に憎まれるであろう」とイエスは前もって
言われた。迫害への対処法をイエスから学ぼう。

@「へびのような賢さ」?
へびは悪い意味合いが多いが、ここでは、へびの特性である
「賢明さ・抜け目なさ」に倣うようにと勧められている。
1.獲物をにらむ鋭い眼力―神に逆らう人々、福音を拒む人々を注意深く
  見定める。訴えられても、その機会を捉えて証の時として用いる。
  自分の力や知恵によらず、祈って、上からの知恵を頂いて対処しよう。
2.素早く行動する敏捷さ―迫害に対する賢い対処法。
  へびは自分の手に負えない相手だとすぐに逃げる。そのように素早く
  迫害者から逃げることも大切。イエスやパウロも危機が迫った時、逃げている。
  悪しき者の手から逃れることは、卑怯でも恥ずべきことでもない
 (神に逆らって逃げたヨナの逃亡は恥、罪)。
  安易に殉教を選ぶのではなく、神の導きによって撤退することも必要である。
A「はとのような素直さ」?
はとは平和のシンボル、聖霊の象徴であり、必ず巣に戻る性質を持っている。
私たちもたとえどんなに罪まみれでも、悔い改めて神の元へ帰ろう。
1.素直さ―神の前にへりくだり、信頼する。「自分の努力」ではなく、
  主のみことばに素直に従う者に「主の霊」が臨み、語らせてくださる。
  だからといって、何の備えもしなくていいのではない。
  自ら備えつつも、主の霊に導かれて歩むことが大切なのである。
2.耐え忍ぶ姿勢―主の再臨を待ち望む信仰。
  約束の言葉に信頼を置き続ける。
  主のみことばを受け入れ、従っていくところに主の働きがなされる。
  「私があなたがたを遣わす」。
  私たちは神に遣わされて、家庭や職場にいるのだ。
Bバランスの大切さ
主のみことばを無視して持つ「へびの賢さ」「はとの素直さ」では、意味がない。
祈りつつ、主のみことばに聞き従う時、何が「へびの賢さ」「はとの素直さ」か、
分かるようにされていく。
1.はとの素直さだけの人
 信仰が素直で純粋で人が好いだけでは、信仰の一貫性に欠け、
 中途半端な者となる危険性がある。アダムとエバの罪は傲慢だけでなく、
 自分の責任を投げ捨て、へびの言うがままになった怠慢の罪であった。
 神から与えられた知恵を生かし、祈り、考え、何が正しいことか判断していこう。
 人の意見を何でも鵜呑みにして賛成するのでなく、
 祈って神の知恵と勇気を頂き、必要な時には「ノー!」と言おう。
2.
へびの賢さだけの人
 「注意深いこと」と「心煩うこと」とは全く違う。自分の安全をはかるキリスト者では、
 主の使命を果たすことはできない。
 この世の知恵・賢さだけを追い求めるものもまた、周りの人から信用されず、
 自身も信仰を失うことがある。

主の御名があがめられるためにお役に立つことが、キリスト者の生きがいである。
人々に永遠の命を確かに伝えていくために、「へびの賢さ」と「はとの素直さ」が
必要である。豊かに与えてくださる主に求めよう。