【No.47】 祝福の基となるように
2002.11.24 礼拝メッセージ 創世記 12:1〜9  河瀬 愛子伝道師

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信仰の父アブラハムを通して、彼が神と出会い、導かれ、不安や恐れを抱きつつも従い、祝福の基となった生き方を学ぼう。
@ アブラハムへの召命
神がアブラハムに初めて声をかけた時は、偶像礼拝の父テラが亡くなった時だった。
そしてそれは準備が整った時であった。 創世記12章1〜2節、
1.国を出よ(文化・言葉の違う異郷の地に行く)。
2.親族と別れよ(親しい人々と別れるつらさ) 。
3.父の家を離れよ(自分の家族を離れる)。
4.私の示す地へ行け。 居心地の良い所から出て、神の示す地へ行こう。
 「祝福」という言葉の大きさをどれほど私たちは受け止めているだろうか。アブラムが神に従う決心をした時から、彼の子孫から(何千年後に)神の御子イエスが生まれる、という大きな祝福(全人類を救う・私たちに救い主イエスを与えてくださる)をご計画くださったのである。
A 約束の地までの信仰訓練と従順
 彼の旅の行程は、ウル―ハラン―カナン―エジプト―再びカナンである。まず、ハランで神の御声を聞く。しかしその前のウルからハランへの間に、聖書には書かれてないが、アブラムは神の御声を何度も聞き、何度もその真実を見、神の御声を信じられるようになっていたのではと思う。 ハランからカナンの旅では、彼は不安と恐れを抱きつつも従っていった。私たちも神の御声を確かに聞いているが、恐れや不安に苦しめられることがしばしば。そんな中でも、神の最善を信じ、従おう。
 また、アブラムは全ての財産と全ての人を連れて出かけた。もし戻る気があるなら、少しは残しておいたであろう。ここにアブラムの決意と神に対する献身の思いが表されている。
 主が示された地カナンは、モレのテレビンがあるいわゆる偶像礼拝の中心地で、先住民(カナン人)がいた。「約束の地」なのに、住みにくい地。神が約束され導かれた地は必ずしも初めから「素晴らしい地」というわけではない。かえって困難なことが多いかもしれない。しかし、それも神の計画ゆえなのである。アブラハムがその地にとって必要な人だから遣わされたのではと考える。。私たちも今、困難な地にいるかもしれない。また、遣わされるかもしれない。しかし、それはその地に私たちが必要だからと知ろう。
 アブラムは行く先々で感謝の形を祭壇を築いてあらわしている。神が与えて下さったみことばが成就した時(カナンまで導かれ、主のみことばが成就した)、感謝を捧げた。
 アブラハムは、後にエジプトに行く(信仰の後退)が、再び回復させて頂き、カナンへと戻る。私たちも信仰が弱まり、後退することがあるだろうが、神の憐れみによって再び立たせて頂けることを信じ、感謝しよう。
B河瀬師の証
 1.召命(19歳の時)
 イエスの十字架を本当の意味で知らさ れ、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として捧げなさい(ロマ12:1)」のみことばで伝道者としての使命を示される。(が、ためらいを覚える)。

 
2.献身(20歳の時)
 「日本人は温泉好きで、居心地の良い所から抜け出たくない。だが、神のみ声を聞いたなら、居心地の良い所でも、出ていかねばならない」との宣教師の言葉に探られ、創世記12:1〜2のみことばによって踏み出す決意をする。

 
3.世界宣教(26歳の時)
 2001年の夏、ロシアに10日間ボランティアで行く。そこで教区の先生の証・賛美・メッセージに恵まれる。福音を飢え渇き求 めるロシアの人々と、惜しみなく与える牧師たちの姿に深く感銘を覚える。世界宣教のビジョンを抱いて2002年現在、東京キリスト教大学で宣教の学びをしている。

神のみことばは、導きの過程においてその都度語られる。
与えられるみことばには不可能と思えることも多い。また約束の地がどんなところなのか分からない。しかし、神は真実な方。その神のご真実を信じ、最善を信じて、み声に従っていこう。