確かなものを求めて

牧師 永田朝美

 終戦の年でした。尾道から今治に向う連絡船東洋丸が、嵐のために木の浦の沖で沈没しました。その船に、弟の急死を知らされ、大阪からかけつける父が乗船していました。
 弟、父、妹の葬儀が一度に行なわれ、やがて人々が帰って行った後に、母と私がポツンと部屋に残こされました。嵐が来て何もかも奪い去ったような寂漠感の中に……。小学校三年の時でした。
 昨日までの平凡な幸せが、肉親の死によって一瞬にして崩れ行く、何んと脆いものか、働き盛りの父、弟妹のように幼くして死ぬのなら、一体人は何のために生まれ、生きているのか。死ぬとはどこへ行くのか、人生の本質的な問いの中で、母の再婚は人間の愛の限界と、どうすることも出来ない人の孤独を見つめさせました。それ故に、より確かなもの変らない愛と真実を求めるようになりました。
 夏のタべ、いつものように海辺を散歩していた時、一人の友と出合い教会に導かれました。中学二年の時でした。それは新しい人生への一歩となりました。
 「神はその独り子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅ぴないで、永遠の命を得るためである」。
 天地万物を創造された偉大なお方がおいでになる!聖い愛にみちた方、私たち一人一人をお心にとめて支えていて下さる天の父なる神様がおいでになる!渇いていた心が潤され、求めつづけていたものが何んであるかを知りました。罪に汚れた心、神を見失い虚しく迷っている私達を、天の父なる神様の愛のふところにまで、つれ帰すために、神の御子主イエスは十字架にかかり私達の罪の刑罰を代りに受けて下さった事実を知りました。
 主イエスを通し神様の愛に出会った時、私の固い僻んだ心は砕かれ、神を愛し人を愛してゆきたい心と変えられました。
 本当の幸せは、主イエスを救い主と信じ、罪ゆるされ心がきよめられること、神に向って生きること、それが永遠の命の道であることを知りました。
 皆さんにとって確かなものとは何んでしょうか。
 教会はあなたのおいでをお待ちしています。