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  故、山口幸子牧師

土居キリスト教会 牧師:千葉和幸

 これは叔母である故、山口幸子牧師のお証しです  
     
故、山口幸子牧師

 幸子師危篤の報をお聞きした
2006年1月22日の日曜日、次の日の朝に駆けつけようと思っていた矢先、残念ながら、その日の夜、9時20分過ぎに74歳で天に召されました。

 しかし、不思議と家族だけが揃っていた時だったとお聞きし、そこに主の導きを見る思いがして慰められました。

 幸子師は、以前かかられた乳癌が、肝臓に転移して再発し、昨年の9月に発見された時には、既に肝臓癌末期で余命3ヶ月の状態だったとの事でした。

 幸子先生は、身体に弱さを抱えながらも、開拓者である山口先生のなくてはならない片腕であり、同労者でした。若い頃は、開拓のご苦労と貧しさの中での食生活は、パン切れや、野菜くず、訪問帰りに摘んだ山菜を味噌漬けにして、おかずと味噌汁にして食されたと伺っています。

 そうした中、お二人のお子様を、難産と死産で亡くされ、棺を購入するお金もなく段ボールで火葬されたという事をも伺っております…想像を絶する献身、この一時が先生御夫妻の伝道者としての生き様の全てを物語っておられます。

若かりし頃の山口先生ご一家

 私が幼い頃、父を亡くし、山形県長井市の実家にいた時、山口先生一家が、開拓中の仙台から来て下さるのが一番の喜びでした。

 母が再婚して仙台に移ってから10年間は、義父に虐待された日々でした。先生御夫妻は、毎日〜心を痛めて祈って下さいました。中学3年の時から2年間、教会に引き取って下さったのです。

 その時は、私の出エジプトの時、人間回復の時でした。山口先生も体調崩されていたおられた時でした。山口先生御夫妻や、娘さんのI子さん、M子さんには、言葉に尽くせない程、お世話になりました。

 朝食を食べながら、毎朝、TVから流れていたカントリーロードの歌を聴くと、あの頃の朝が甦ります。私の中の幸子おばさんはずっとあの時のままです。

 そのように、私は先生方の愛と祈りによって育てて頂きました。そして献身、加古川教会を経て、仙台教会の副牧師として遣わされた7年間も、山口先生御夫妻は、足りない者を心砕いて祈り育てて下さりました。

 副牧師として仙台在任中、山口先生達の理念である、”牧師が信仰的に自立する事が、教会を自立したキリストの教会として建て上げる”…そうした思いで、私達、若い献身者夫婦を教育して下さった事は、本当に感謝なものでした。

 しかし、私が自律神経を患ってしまった為、先生方には、ご心配をおかけし、また先生方の教育と期待に応える事が出来ませんでした。

 更に、転任という事になり、先生方を振り回す結果となってしまいました。その事が、教会の愛する兄弟姉妹にも痛みを与える結果を生んでしまいました。

 自律神経を病んでから9年、ようやく、この病を糧に変え、9年間失ったものを取り戻すべく立ち上がり始める時を迎えました。

 教団にも、そのような、心病んだ献身者を受け止めるシステムが出来つつある事を思う時、少しは病んだ事が報われたのかなと思えるようになって来ました。

 仙台を離れて6年目の昨年、幸子先生の病の事をお聴きし、10月の末、お会いして祈りあえました。その時、私は、先生御夫妻を振り回して来た事をお詫びしました。

 幸子師は「私達は、あなたに振り回されたなんて思っていないよ。身内から献身者が与えられた事に感謝しているのよ。ずっと祈っているからね」と言って下さいました。
 
 そのお言葉と、最後の握手の手の温もりは、私にとって、大きな重荷を降す時となりました。

 今から思えば、昨年はそこに向けて幾つかの主の大きなお取り扱いがあった事を思わされています。神は、この時を御存知であり、霊的に備え導いて下さっていたのでした。

 そして、このお正月、前の父から30年ぶりに電話があり「昼から、夜になるまで電話の前で待っていた。牧師になったと聞いたので聴いて欲しい。お前の父であった10年間殴ったり蹴ったりして申し訳なかった」と…。

 涙の和解の時が与えられました。昔、涙の祈りを10年間積んで下さった幸子先生に、その報告が出来ました。幸子師が会話が出来なくなる直前でした。

 その事を思う時、私と母と山口先生御夫妻の間には、主イエスがおられる、その証と思えて仕方がありません。

 そして、この春、29年ぶりに、家族を連れて前父と再会して参りました。

 話を幸子師に戻します…娘のI姉は、「お母さんはびっくり箱のような人だった」と言われていました。確かに甥の自分から見ても、少し抜けている叔母でした。笑い話にはこと欠きません。

 しかし、伝道者になってから、見えて来た幸子先生の姿は、男性のような理性的判断力と、出来るだけ教会に負担をかけないように、何時も黙って全てを負いながら、唯、主イエスを愛し、主イエスに生涯を献げて来られた、伝道者魂の固まりのようなお姿でした。

 幸子先生は先駆者でもあられました。婦人教職者として按手礼を多くの壁を乗り越えて受けられました。今、婦人教職者達が幸子師の志を受け継いで、按手礼にチャレンジしておられます。

 昨今、教会の歴史観が重んじられるようになりましたが、幸子師は、女性伝道者として、そうした歴史観を持った先駆者でした。
そして 歴史編さん委員として、”日本ホーリネス教団の歴史の上に働かれた神の御手”を書き残されました。いえ、最後の最後まで、使命に生きて書き続けられました。

 そして、幸子先生の、”最後の死に至る戦いは、「私は決して、あなたを離れず、あなたを捨てない」と言われる主イエスを教えて下さるもの”でした。

 昨年の10月30日に、お見舞いに行った時、幸子先生のお口から「元旦に洗礼を授けたいので祈って欲しい」とお願いされました。

 しかし、幸子先生は、数ヶ月前から、2階の自室で礼拝を守っておられる状態で、何よりも、お医者さんに告げられていた、余命を超えている時でしたので、正直、「そんな無茶な」と思いました。けれど、先生方の信仰を見て、共に、その洗礼の為に祈ろうと思いました。

 大晦日の日に予行練習をされた時には式文が読めなかったそうです。しかし、元旦の朝、”主イエスは祈りに答えて奇跡を起こして下さい”ました。幸子師はすっと立って洗礼を授けられたと伺っております。
 葬儀の遺影は、その時の写真でした。そして洗礼式を終えた数日後、体調を崩され2週間半の、壮絶な闘病を主イエスの支えと、伝道者魂で乗り越えられ、天に勝利の凱旋をされました。

 山口幸子牧師は、最後まで、癒しの信仰に立たれて自宅療養されました。また、それは”死を受け入れる戦い"でもあったと思います。

 余りの苦しみに身を横たえる事が出来ず、ベッドの上でうずくまり、娘のM子さんと見つめ合いながら朝を迎えられ、水も飲めなくなり、尿も出なくなった時、山口先生が決断をされ、「お母さん。入院するよ」と宣告されて入院。

 その後の2週間は、壮絶な戦いだったとお聞きしています。そうした中、御家族や、私の母、また先生の霊の子達が徹夜で看病をして下いました。ありがとうございました。

 尿が出なく、体中の毛穴から尿が吹き出し、呻かれる姿に心を痛められたT姉が祈られていた時、神様は、「あの幸子先生の姿は、ゲツセマネの祈りで、汗を血のように流された我が子イエスの姿なのだよ。お前は、イエスの、その事を聴いても、私の愛が分からなかっただろう。幸子先生の姿を通して私の愛を分かって欲しい」と語られたそうです。

 T姉は、「でも私に神の愛を教えて下さる為に、あなたに仕えて来られた幸子師をこんなに苦しめるんですか?」と神に叫ばれたそうです…辛い思いでお聞きしました。”幸子先生の苦しみは私の為の苦しみでもあったと思う”からです。

   

 神様は、その祈りに答えて下さり最後の2日間、安らかな時を与えて下さり、はじめて家族だけが揃われた時、静かに天に召して下さったと伺いました。

 今、幸子師が痛みから解放され、天国で豊かな報いをうけておられる事に慰めを感じます。この度、引退される山口先生の最後の礼拝には、ちょっと心配して?いえ、一緒に主に感謝を献げようと天から帰って来られたと思いますが…。

 御遺族にとっても、看病して下さった方々にとって、その壮絶な痛みとの戦いの姿は生傷だと思います。”親しい者でも共に担ってあげる事ができない孤独な戦いを見たから”です。

 しかし、そんな中で、聖書の言葉が、死に至る戦いの中におられた幸子先生に対し、どんなに慰めの響きを立てたかに驚きを覚え、看病された方々、祈って下さった方々の上にも、これからその主の御言葉から慰めが響きを立てて臨み、豊かに慰め支えて下さる事を祈っています。

 福島教会の葬儀は素晴らしいものでした…献身者の葬儀は教会の栄光だと思わせられました。幸子先生、心から、「お疲れ様でした。ありがとうございました。それから申し訳ありませんでした。何時の日か天国で御一緒に主を賛美致しましょう」。 心からの感謝を込めて…。

土居キリスト教会牧師、千葉和幸


Uテモテ4:5「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。私は、既にに自身を犠牲として献げるている。私が世を去るべき時はきた。私は戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠が私を待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。」